これまで3年半ほどの間、想いつくままに1600ほどのしがない内容を投函させていただきました。
加齢でメガネをどんなに調整しても視力がよくならず、一件一葉の誤字交じりのブログでした。(頓首です)
先日、お友達からこれらを製本したものを頂戴しまた。
定年退職の際に花束を受け取った時の感動を覚えました。
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ぼちぼち店じまいをしてもよい頃となりました
そこで“国鉄の<語り部>”として言いもらした事柄をもう少しまとめてみます。
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今日のタイトル:
<国鉄職員の人生>を決める「国鉄の文書主義、組織と職種と人種そして神様」
といたしました。
~蒸気機関車の機関士、期間助士だけに支給されていた防塵めがね~
以前にも書きましたが、入社すると国鉄職員として最低限求められるのが「鉄道公用文」のマスターです。
入社時に鉄道学園で授業がありますが、一般的には通信教育で資格を取得します。
すべての決定・指示・命令は書面・・・稟議書を起案して決済、記録に残す・・・安全第一、誤報・誤認防止から文書主義が徹底しています。そんな実践をしながら国鉄職員として涵養を重ねます。
加えて、完全な学歴社会でもあります。入社時の公認資格「大卒(本社・地方)、高専卒、高卒、中卒(鉄道工場で特殊技術者養成、終えると高卒))・・・短大は高卒待遇で選別されます。
付記事項としては、首都圏や大阪地域の職場に多いいのですが、家庭の経済的な関係から上京して国鉄で働きながら大学を卒業する方かなりおられたように思います。・・・ただ国鉄では社会的な大卒者として認められません。
それ以外に、駅員等をしながら国鉄付属機関の中央鉄道学園大学(国立)に入り幹部を目指そうとする職員もいます。
いずれにせよ「国鉄で働きながら資格を得る」という行為は、一般の職員からすると「危険を伴う安全第一の仕事を“手抜き”しながら自分の為に勉強した族(やから)」とやっかみも加わって冷たい視線があったようです。その批判を避けるために運転以外の職場を希望したり、合格すれば現場の評価は高まるので、当然、長はそれなりに挑戦しやすい環境の事務職等に配置転換の配慮をします。医大に合格して退職した職員もおりました。
職員の誰もが家族を幸せにさせようと組織の階段を登ろうと頑張るわけですが、管理局などの厳しい計画部門を経験などない大多数は、映画ポッポ屋のように“その道一筋”で勤続25年の永年勤続の功績賞をもらい、趣味を活かしながら定年を迎えます。
現職時代から作家や画家などで高名になり、総裁と友人?のような関係まで上り詰めた一般職員もおられます。あの郷ひろみさんの父親の最後は東京駅の助役さんでした。
また国鉄の官僚制度に馴染まない一握りは組合活動に走った方もおられます。僕は運転職場でしたから(世間では鬼といわれた)動労に自動的に?入っていました。・・・上司から「僕のようなものは、頼むから動労に入ってくれトカ、頼むから動労全国大会にに動労管理部門委員で参加してほしい等々・・・」、社会では当局と組合は犬猿の仲と思われていますが、ストや順法闘争以外では共存共栄の感です・・・。それでも若手の白ヘル組合員に僕は何度も攻撃されて身の危険を感じたものです。
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以上は、一般の国鉄物語の本ならどこかに書かれている事柄です。これ以外の事柄としては、「統事(とうじ=僕の記憶ではこの漢字です)」という肩書きが印象的に残ります。国鉄全体で1~2名程度おられたようです。
僕が入社当時の定年退職の年齢は、確か55歳定年制でした。「統事」とは計画部門で対外交渉に係わる重要な余人に代え難い人物に与えられた定年後の呼称です。
それ以外に「神様」もおられます。神様とは組織に欠かせない知恵袋のような存在です。運転局にただ一人保安課におられました。統事といった特別な呼称でなく通称の補佐という職名でした。定かではありませんが職員局公認の定員外の人数ではないかと思います。
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<参考:文書主義とは>
先月亡くなった小野田寛朗元少尉(91歳)がルバング島で30年近い戦いを止める条件として、元上官による戦闘中止命令書を要求したことでも分かります。このニューステレビを職場の上司の多くが琴線に触られたかのように凝視されておられました。若かった僕にとって強烈な印象深いシーンでした。国鉄職員も軍人も根っこは同じということですね。
~元上官の少佐から停戦命令を受ける小野田少尉~
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