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Channel: むかし日本に国鉄があった
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「ひかえしゃ」投稿

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   ~青函連絡船 羊蹄丸・・・JR北海道のロゴが煙突に・・・廃船?赤錆が浮いています・・・かわいそう~
 
 
もう死語のような国鉄の用語「ひかえしゃ」懐かしい思い出があるので明日、準備出来次第投稿します。
 
 

<予告>鉄道電報電略通信の投稿

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                                     ~国鉄当時の“鉄道電報電略”による通信操作写真~
 
 
 
 
準備出来次第投稿します。

鉄道電報=電報略號=鉄道暗號の如し

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昭和に入ると戦争が忍び寄り、国鉄の鉄道電報は陸軍の鉄道部隊軍用列車(鉄道部隊)、樺太鉄、朝鮮鉄、満鉄、台湾鉄間との「鉄道電報略號」(昭和16年3月達第103号 同年4/1実施 鉄道省)が使用開始となり、敗戦で外地がなくなり、その分一部修正されたものが確か昭和50年代も使用されたいたと思います。
 
 
 
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~国鉄は徹底した外国語嫌い?~
<鉄道省>
 
 
 
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~電鍵で鉄道電報略號を送信(実写真)~
 
 
 
 
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  ~当時の電信暗號~
<赤のフェルトペンと比較すると大判の暗號書です>
~何故か暗號書は革張りは多いのです~
 
 
 
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~アルファベット5桁で日本語併記されていた~
<戦時中魚雷攻撃等の危険がある船舶も同じ方式>
 
 
 
 
<電報略號による“電文”>
 1レ3チチ9チハゼ レマチ」103レーソチ6チハクセキテハ」58レ10チハソセ」12レテチ8チハ58レカツマチ
 
 
<原文>・・・もう駅長気分の皆様にはお判りですよね・・・後日準備出来次第投稿します。
 
 
 
 
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                ~駅線の右端のカタカナ標記も「電略」です。 ヒロ=広島駅~
 
 

<また昇格>たま駅長社長代理デス ◎「たま」駅長にメダル贈呈

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何といっても赤字の鉄道を黒字、しかも無事故で達成した経営者は、
 
“たま駅長”だけです。
 
昨日、社長代理に昇格されました。社長代理室はクリスタルガラス張りのオープン経営です。
 
 
 
 
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                   ~日頃の勤務は“眠り猫”のような高貴なお姿です~
                        <お食事以外は寝る子(ネコ)です>
 
 
 
                       ~ここ紀州は徳川御三家のひとつ~
             <家訓2:猫の一生は重き荷を負うて遠き道を行くが如し、必ず急ぐべからず>
                      ~日光の“眠る猫”はここからきております~
 
 
 
 
では皆様!たま社長代理の就任式を速報いたします。  いろんな拍手~パチ!ぱち!pachi!
 
NHKの全国ニュースでも放送されたそうです。(未確認:映像は関西版)
 
 
 
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~就任式 社長曰く「無事故!黒字経営に貢献しました!! 社長代行を命ずる!!!」~
<たま応えて曰く「はずらかしい~> 
 
 
 
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             ~勲章もつけたし! あとは~社長ポストだけ!! 野良ニャンたち~
 <社長は拾って下さった飼い主だし下克上はタマの倫理観にあいません 僕は秀吉のような忠ニャンです>
 
 
 
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         ~何よ!~ 早い社長代行に文句ある あるなら電車に乗ってきて!!運賃もネ~
 
 
 
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           ~やっぱり鉄道オタクのおじちゃんは鉄道に対する眼力があるなァ~ 大好きよ~
 
 
 
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                       ~正式な社長代理のお写真 カシャン!~
                 <ちょっと古くなったけど「たま駅長}の本もあるぜよ:竜馬>
 
 
 
以上;NHKの(臨時!)ニュースです
 
以下:NHKのHPです
 
 
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                            ~照れるなァ~ NHKHP~
 
 
●「たま」駅長にメダル贈呈
 
三毛猫の駅長として知られる和歌山電鉄貴志川線の「たま」が「社長代理」に就任したのを受けて、24日、新しい役職の証しのメダルが贈られ、お披露目されました。和歌山電鉄貴志川線の貴志駅の駅長「たま」は、たまを目当てにした海外からの旅行ツアーも企画されるなど和歌山県の観光振興に大きく貢献しているとして、これまでの会社の役員から更に出世し、ことし1月、ナンバー2にあたる「社長代理」に就任していました。たまが駅長をつとめる貴志駅で、24日、新しい役職を示すメダルが贈られ、お披露目されました。メダルは直径5センチほどで「たま駅長」のイラストが描かれ、「社長代理」と記されています。
この駅で生まれた「たま」は、今月29日に14歳の誕生日を迎えるということで、24日はこれを機に作られた写真集といっしょに「社長代理」のメダルをつけて、記念撮影の仕事をこなしていました。
茨城県から訪れた男性は「とてもかわいらしいです。社長代理のメダルをつけると貫禄が出て良いです」と話していました。
(NHK 2013.04.24 15:54)
 
 
 
 
 
~Yahoo!~
<みんながどういう記事を書いているか見てみよう!>
 
 
2008/10/29(水) 午前 7:59
... もしもし???) 和歌山知事から表彰状と、メダルのペンダント(?)が贈られていました。             貴志川線終点「貴志駅」 去年1月 “たま”が 駅長に就任してから、貴志川線の集客力は格段にアップ。 ...
 
 
 
 
2008/10/24(金) 午後 5:24
... (-_-) 和歌山電鉄貴志川線の貴志駅で駅長を勤める三毛猫のたまちゃん! 21日、[和歌山県勲功爵]の称号を授与。 駅名にちなみ、英国の爵位のナイト(騎士)に見立てた称号で、 28日に和歌山の知事から表彰状と、メダルを贈られるそうです(*^_^*) たま ...
 
 
 
 
2008/1/8(火) 午後 6:45
... そのたま駅長ですが、 何と2008年1月5日より 客招きへの貢献により、 「スーパー駅長」に昇進したそうです。 何でも「平社員」から「課長職」に出世されたとか。 駅帽も新調され、またメダルも 「スーパー」を意味する 「S]の文字が入っ ...
 
 
 
 
2008/1/6(日) 午前 7:25
... たまは新調した駅帽をかぶり出席。同電鉄の小嶋光信社長からSの字が入った新メダルや、好物のカニかまぼこが贈られた。◇同社によると「たま効果」で売上は7%増。駅舎内に正式に「駅長室」も作る。小嶋社長はネズミのおもちゃもプレゼント。「今年は子年。 ...
 
 
 
 
2008/1/5(土) 午後 9:55
... 小嶋光信社長からSの字が入った 新メダルや、好物のカニかまぼこが 贈られた。  私の名前は「たま」。メスの三毛猫、8歳です。人間でいうと45歳くらいね。去年1月、紀の川市の和歌山電鉄貴志川線貴志駅の駅長になってからは、“猫の手も借り ...
 
 
 

<欧州鉄道視察>映画「鉄道員」のローマから最終は英国国鉄本社へ

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             ~約40年前 初めての海外です DC8機 当時ジャンボは試験飛行中~
                  <羽田から真直ぐ南下、赤道上空を西へ西へとローマまで>
                      ~一瞬 南べトナム上空を通過 まだ戦いの最中~
 
 
 
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                  ~これが映画「鉄道員」の舞台になったローマ・テルミニ駅~
 
 
 
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  ~国鉄本社・鉄研の専門家もご一緒 壁が柱の代用 建築上有名な柱無し駅舎だそうです 僕:フムフム~
 
 
 
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         ~新幹線のモデルとも:憧れの特急セッテベロ 自由に展望車に行ける 食事も最高~
                            <ヨーロッパで珍しい特急電車>
 
 
 
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~途中で特急客車に乗換え  この機関車に添乗してミラノへ~
<特急機関車は機関士一人、僕は助手席に座って・・・ここでもフムフム>
 
 
 
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~駅舎は全てドーム状(最近の写真)~
 
 
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~ミラノ駅のその重厚さに驚かされました巨石の建造物~
 
 
 
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                       ~行き止まりのターミナル形式の駅です~
 
 
 
 

<貨物は面白い>JR貨物 ハイブリッド機関車 HD300-901号機

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本当の鉄道オタクの皆様下記の機関車ナンバーをみて
 
アァ~まだ国鉄だ!!と思われませんでしたか。
 
 
・・・
 
 
オタク曰・・・あの機関車(HDL?)よくみて!・・・300-901
 
最初ね~・・・試作車を示すHD901というナンバーを付けていたんだ(推測)
 
実用化が可能と判断したのでナンバープレートを「HD901⇒HD300-901」にしたんだ。
 
 
・・・
 
 
どうしてわかるの?
 
EF66を完成させる前は・・・EF901・・・実用化したらEF66901・・・同じように思うから(推測)
 
 
 
 
 
● JR貨物 ハイブリッド機関車 HD300-901号機
   レスポンス  2013.05.08 10:00
 
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                                               ~JR貨物 ハイブリッド機関車 HD300型~
 
 
 

 JR貨物は5日に開催した東京貨物ターミナル駅40周年記念イベントで、ハイブリッド機関車「HD300」を一般に初めて公開した。
 
 HD300は、ディーゼルエンジンを発電機として用い、モーターで駆動する電気式ディーゼル機関車だが、搭載したリチウムイオンバッテリーからの電源供給も可能としているために、同社では「ハイブリッド機関車」と呼称している。電力がチャージされている間はバッテリーから優先的に使用するためにエンジンを常時回しておく必要がなく、既存のディーゼル機関車と比較した場合には排出ガスを30-40%削減できる。
 
 「保安装置(ATS)が搭載されていないために営業路線での単独走行はできず、駅構内での入れ替えにしか使用できない」とされてきたが、東京貨物ターミナル駅に配置されている試作型のHD300-901号機には、JR貨物型ATS(ATS-SF型)の搭載を示す「SF」のマーキングがなされていることを今回の公開で確認している。

イタリアの機関区

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この古い写真は欧州鉄道視察に行った時のものです。
 
確かミラノからスイスの間です。
 
イタリア国鉄電気機関車の特徴はパンタグラフの異様な大きさ
 
日本の新幹線の3倍、在来線の2倍ほど大きい(上がっている)
 
おそらくいろんな大小の形状したトンネルの対応かもしれません。
 
 
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                        ~古い写真で変色しています~
                   <映画「鉄道員」の兜顔の機関車も見えます>
 
 
 
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                    ~兜顔の機関車 映画「鉄道員」 YouTube~
 
 
 
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            ~出迎えのわが子を見つめる機関士、JRでは厳禁、社会も許さない~
        <今の社会は益々ギスギスしています。むかしの日本の国鉄もこんな感じでした>
 
 
 

<セノ・ハチ史:その5>国鉄大動脈最大の難所 (まだSL運転・・・EF59投入前後)

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瀬野機関区の衰亡の始まりは、貨物輸送の減少、当然収入の減少・・・新幹線が開業した昭和39以降国鉄が分割民営化するまで、瀬野機関区=セノ・ハチ運転も影響を受けてきます。
 
そもそも広島局の動労は運転局としても後ろから支えてきた組合、表面上は両者は激しい組合闘争をしていましたが、それなりに細い糸で結ばれていたのです。
 
 
昭和28年3月15日 特急「かもめ」号運転により広島駅から補機「D52」1両連結 
 
昭和29年8月9日  自連自動解錠装置使用(別途投稿します)
 
昭和36年10月1日 特急「かもめ」号運転により広島駅からの補機連結とりやめ 
 
昭和37年6月10日 広島以東電化完成(SLからELへ)
 
昭和50年3月10日 山陽新幹線開業
 
 
 
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              ~特急「かもめ」の補助機関車を広島駅で連結 NHK映像~
 
 
 
 
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                ~操車係り「ヤオ~ ヤワ~ レンケツ!」 機関士汽笛で応答~
 
 
 
 
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         ~D52が「かもめ」を押す 今の世より当時の穏やかな世界の方がしあわせの感~
 
 
 
 
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                   ~八本松駅の外方で切離し、「かもめ」を見送る~
 
 
 
 
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              ~電化のため入れ替わってEF53の改造車EF59が投入されました~
       <定かではありませんが正規の番号に後に“9”が付くと「臨時、試作」の意味が含まれます>
 
 
 
 
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                      ~電化前後の瀬野機関区の要員体制~
         <電化で機関士が急増 広島局にとっていろんな意味で大切な機関区なのです>
                       <特急以外は全て停車+連結>※
 
 
 
 
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                  ~不自然な線形・・・ここで昔大きな有名な事故?が発生~ 
                   <中央の家ト貨車間の盛土・・・単線当時の待避線址> 
 
 
 

「ひかえしゃ」投稿

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   ~青函連絡船 羊蹄丸・・・JR北海道のロゴが煙突に・・・廃船?赤錆が浮いています・・・かわいそう~
 
 
もう死語のような国鉄の用語「ひかえしゃ」懐かしい思い出があるので明日、準備出来次第投稿します。
 
 

<逸話>国鉄の民営分割で議論“上り列車とは、下り列車とは

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1月下旬からここ10日ほどの間
 
 
>「リニア中央新幹線」」や「JR北海道」
 
 
この2をメインテーマに取り上げて投函してきました。
 
 
・・・
 
 
「国鉄が存続していたら概ね僕の語り方が基本的な“見識”だと思います。
 
各論につきましてはお友だちに別途投函します。
 
 
 
・・・
 
 
さて、今日投函するテーマは
 
 
<逸話>国鉄の民営分割で議論“上り列車とは、下り列車とは・・・です。
 
 
逸話という二文字を冠にしたのは、「おそらく当時の運転局出身者でも誰も知らない、承継計画書にも成文化されていない」からです。
 
ですから逸話(≠マル秘≠極秘)なので気楽に、あまり真剣にならないで・・・フムフム・・・ナルホドネ・・・とお読みください。
 
 
・・・
 
 
内容は「民営化したので列車番号の付け方は国鉄方式でよいか?」という素朴な課題でした。
 
簡単に云うと「JR本社の最寄の駅が<線路の起点>=とするならば<起点から離れる列車が下り列車>という解釈がキチンと成り立つか否かです。
 
憲法第9条ではありませんが国鉄は国の機関でしたから関係規程の解釈は厳格なのです・・・議論好き?・・・規程には神様とう解釈専門人、ほとんど異動しない職員がいました。・・・定年になっても退職させないのです(ホントの話し)
 
 
>簡単に云うと「JR本社の最寄の駅が<起点>という解釈がキチンと成り立つか否かです。
 
 
ということは、JR東日本(当時;東京駅前)以外の列車番号は満足できますが、他のJR会社は様変わりです。
 
あれやこれや議論があって??・・・パンドラの箱はチョコット開けて直ぐに密封、つまり国鉄方式です。(以下省略)
 
 
・・・
 
 
この視点からすると国鉄改革はある面で<不熟>ですね?
 
 
 
 
 
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          ~先月投函;“すばらしい運転と賞賛”した例のJRの運転士の右側に上りの時刻票が~
                  <いろんな運転保安装置などに囲まれていました>
 
 
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    ~近鉄;・・・この運転士さんもGOODです。“一時”JRが模範運転のモデルとしていました~
 <JRと比べてシンプルな機器配置;国鉄本社当時、近鉄の保安装置は国鉄より進化と評価されていました>
 
 
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           ~時刻票をみると<起点(この場合京都)から離れるが奇数番号=下り列車>~
 
 
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                  ~時刻票をみると<偶数番号=上り列車>~
 
 
 
 
<参考;時刻票と時計の位置関係>
 
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                    ~時刻表の直ぐ下に鉄道時計置きのゴム受け~
                               <D62>
 
 
<リンク>

<思い出>鉄道時計の置き台に注目!!

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▼鉄道時計の置き台に注目!!

▲お友だちの皆さんの多くは腕時計でなくて、このSEIKO製の<鉄道時計>をお持ちですか。僕も同じものです。
さて、JRと近鉄の鉄道時計の置く位置がかなり違います。確かSLの時は近鉄方式のように時刻票に近かった記憶です。
 
 
 
<追加の思い出>
 僕たちの頃はの携帯品に支給品として「防塵メガネ、偏光用のサングラス(ヤクザそっくり)」と個人用に手鏡」の3点が必需品でした。
 
 防塵メガネ;蒸気機関車の煙突から燃えカスの石炭の粉(鋭く尖っている)が眼の角膜に突き立つ・・・すると水        で洗ってもとれません・・・ので相棒に濡らしたタオルで眼球を拭いてとってもらいます。その防止用        です。・・・投炭中は使用しません・・・汗みどろで作業にはなりません。
 
 偏光用サングラス;鉄道労働科学研究所が真夏なでど太陽がギラギラする線路を運転目的で開発したもので        す。使用するとらくですが、ヤクザのようなダサイサングラスで殆ど誰も見向きしませんでした。
 
◎手鏡;SLの発電機は蒸気でタービンを廻して発電します。運転台をボ~と照らす程度の照明です。これも故         障する等々で、時刻を確認する時は、助士は焚き口を開き、炎の光を鏡で反射させて時刻を調べま         す。・・・そのために反射光が当る様に高い位置に「時計置き台」がありました。
 
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~焚口をあけて!炎の光を手鏡で反射!!時計を照らす!!!~ 

<語り部曰く>〈世界を驚かせた日本の技術〉12万本の平均遅延わずか36秒、驚異の運行続ける東海道新幹線

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わが国の鉄道の誇りは“世界に冠たる日本国有鉄道の<安全>と<安定>です。
 
その国鉄が分割民営しても高いノウハウは承継されているようです。
 
 
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                          ~頑張った初代新幹線0系~
                       <お友だち(HIRO氏)から戴いた写真>
 
 
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                      ~極めて少ない平均遅延=安全の如し~
            <斎藤雅男;草創期の新幹線を最前線で創り上げたこの人の本を読むべし>
 
 
さて、タイトルの
 
 
<検証>〈世界を驚かせた日本の技術〉12万本の平均遅延わずか36秒、驚異の運行続ける東海道新幹線
 
を少し語ってみましょう。
 
下のグラフの出典は、「新幹線開業からの運転事故統計資料 昭和56年4月」、僕が運転局保安課当時、本社の権限で蒐集した資料の一部です。・・・製本承諾の稟議書起案当時は、国鉄本社の付属組織の東北・上越新幹線総合指令本部だったころです。
 
わが国の新幹線のノウハウは・・・当時、軍事機密のような扱いで、国鉄本社は大げさにいえば「在来線本社」、新幹線は新幹線総局が「新幹線本社」といっても過言ではありません。・・・本社;新幹線!総局に資料を作らせよう!!そんな感じが当時の空気)・・・つまり新幹線出身者は(運転局)には本当に少なかったのです。
 
新幹線に関して、その実践的な権限は関東軍のような存在の新幹線総局(国鉄本社旧館の入っていた)が握っていました。(鉄研にも実践はあまり知らず?)
 
そんなことで、新幹線の草創期のデーターは殆ど国鉄内部さえあまり知られていません。当然、マスメディアに対しても大事故が無い限り漏れません。
 
 
・・・
 
 
さて、本題の
 
 
>MSN産経ニュース 2013.1.5 07:00
 
>〈世界を驚かせた日本の技術〉12万本の平均遅延わずか36秒、驚異の運行続ける東海道新幹線
 
 
実際は国鉄と比べてどうなのでしょうか
 
新幹線開業した年、毎日が祈るような感じで運行の遅延=1.2分=72秒の遅れ
 
僕が入社して数年後(昭和45年、新幹線赴任直前)の年間の列車遅延=0.8分=48秒です
 
一ヶ月の最良の平均遅延=0.1分=6秒
 
 
・・・
 
 
試行錯誤であった国鉄の草創期はJRと比較すると遅れはあまり大差ナシ?“ガンバッタ”と僕は思います。
 
その後運行が困難・・・新幹線総合調査委員会や新幹線輸送障害委員会で議論を重ね
 
いまのJR東海会社の磐石な新幹線があると僕は思います。会社は“守文”を特に大切にされているようです。
 
        
 
 
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                  ~東海道新幹線開業からの運転事故統計資料 昭和56年4月~
                       <東北・上越新幹線総合指令本部作成>
 
 
◎〈世界を驚かせた日本の技術〉12万本の平均遅延わずか36秒、驚異の運行続ける東海道新幹線
 MSN産経ニュース 2013.1.5 07:00
 36秒-。年間約12万本をを運行する東海道新幹線で1列車あたりの平均遅延時間(平成23年度)だ。単に速いだけでなく、安全性、快適さ、そして正確な運行と“総合力”は他の追随を許さない。昭和39年、時速200キロ超運転という世界初の高速鉄道を実現した新幹線は、約半世紀にわたる不断の努力の結果、いまなお進化を続けている。
 東京駅16番線。「発車よし」。駅係員がホームの電波時計を3回確認、乗降客の安全を確かめ発車ブザーを鳴らす。扉が閉まる。8秒後、運転士は運転席の懐中時計を確認し、ノッチ(アクセル)を入れる。そして、東海道新幹線「のぞみ」は定時に発車した。
 「のぞみ」開発による一層の高速化、乗客の死傷事故ゼロの記録を誇る東海道新幹線には、さらに世界に誇る「技術」がある。定時運行だ。
 東海道新幹線の平均遅延時間の36秒は台風や大雪などの影響も含み、自然災害がなければ、ほとんど遅延はないレベル。「最新システムへの不断の設備投資と、社員の練度向上がすべて」。JR東海の関雅樹・新幹線鉄道事業本部長は、こう話す。
 JR東海発足後、国鉄時代の約20年間にわたる設備投資額の約4倍を自然災害対策に投入、大雨などによる運行制限が大幅に減った。耐震補強、世界に例のない脱線防止装置の導入など安全、安定走行に最新設備を投入し続ける。
さらに“人の力”も見逃せない。運転士は、常に次の到着(通過)駅までの距離を考え、速度を計算しながら走る。新幹線の運行は秒単位で管理。駅への到着(発車)や通過時刻は15秒単位で組まれている。1分以上遅れると、全列車の運行を把握する「新幹線総合指令所」に警報が出され、運転士、指令所が一体で回復に全力をあげる。
 秒単位の管理は、定時運行のためだけではない。扉を閉めた後、発車まで8秒待つのも、その間に駅員、車掌が安全を再確認するために必要だからだ。毎日深夜に行われる線路の保守作業など、関係者すべての地道な活動が定時運行と安全を支える。
 2月には各区間での最高速度を自動的に保つ「N700A」を投入する。唯一のネックだった自然災害時の遅れ回復に効果をあげることは確実で、遅延時間はさらに縮まりそうだ。
 JR東海、JR西日本、JR九州と台湾高速鉄路の4社は昨年10月、日本型新幹線を共同で海外展開に取り組むことで合意した。「世界で最も古く、そして最も新しい高速鉄道」(関氏)は、改めて世界の注目を集めている。(内山智彦)
 

国鉄の初任給

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当時の
 
給与関係資料がでてきました
 
準備出来次第投稿させていただきます

<山形新幹線>開業20周年記念に一部列車運賃など半額に

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●<山形新幹線>開業20周年記念に一部列車運賃など半額に  毎日新聞 2012.05.08 20:03
 
山形新幹線=JR山形駅で2011年3月、鈴木健太撮影
 JR東日本は8日、7月1日に開業20周年を迎える山形新幹線の一部列車の運賃と特急料金を50%割引することを発表した。


 期間は7月1~22日まで。乗車する1カ月前の午前10時から発売する。対象列車は東京駅を発着する「つばさ」上下各6本の普通車指定席で、東京-米沢、山形、新庄間。運賃・料金は、米沢の通常1万200円が5090円、山形の同1万1030円が5510円、新庄の同1万2510円が6250円になる。新幹線の割引率としては過去最大。

 管内の新幹線はほかにも6月23日に東北が開業30周年、10月1日に長野が15周年、11月15日に上越が30周年。来年3月末まで鉄道博物館(さいたま市)での特別企画展や、車体のラッピング、開業当時の塗色を施した列車の運行、記念グッズと駅弁販売などのキャンペーンを展開する。

入社試験の受験生が乗ったKTXが故障…パトカーで試験場へ

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●入社試験の受験生が乗ったKTXが故障…パトカーで試験場へ
中央日報日本語版 5月21日(月)10時17分配信
 
ソウル行きのKTX(高速列車)列車が1時間ほど故障で止まった。

20日午前5時に釜山(プサン)を出発してソウルに向かっていたKTX102列車が午前6時13分ごろ、慶尚北道(キョンサンブクド)の「金泉亀尾(クムチョン・クミ)駅」で、機関の故障のため停止した。

この列車は午前6時11分に金泉亀尾駅に到着し、2分後の13分に出発しようとしたが、機関の故障で動かなかった。この事故で客室の電灯が消え、乗客およそ560人が不安を感じながら1時間ほど待った後、緊急投入された非常列車に乗り換えた。

この日の列車には、ソウルの放送局や銀行などの入社試験を受けるために上京中だった受験生およそ100人が乗っていた。
 
KORAIL(韓国鉄道公社)側は受験生の試験場所や時間を把握した後、午前8時43分に永登浦(ヨンドンポ)駅に列車を非常停車させた後、約20人の受験生をパトカー9台に乗せて試験場まで送った。

残りの受験生80余人は午前8時52分ごろソウル駅に到着し、警察が提供したパトカーのほか、タクシーや地下鉄など大衆交通を利用して試験場に移動した。一部の人はKORAIL側に対し、遅延による精神的被害の補償などを請求する計画だという。

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最終更新:5月21日(月)10時17分

科学技術部「高速鉄道衝突事故は速度と無関係」=中国の技術は世界トップレベル―中国

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●科学技術部「高速鉄道衝突事故は速度と無関係」=中国の技術は世界トップレベル―中国
Record China 4月3日(火)9時46分配信
 
 2012年4月2日、新華社によると、中国科学技術部の曹健林(ツァオ・ジエンリン)副部長は、武漢で開催された「全国ハイテク産業発展・産業化工作会」で、中国の鉄道技術はいまだ世界トップクラスの水準にあると述べた。

昨年7月23日に起きた温州高速鉄道衝突事故後、国民からは高速鉄道の技術と安全性に対する大きな疑問の声が上がっているが、曹副部長は「事故発生時の速度は時速約99キロと、高速運転状態ではなく、事故原因と速度に直接の関係はない」として、「中国の高速鉄道技術はいまだ世界トップレベルにある。新中国成立後、工業分野で世界をリードできる数少ない技術であり、優れたイノベーションの成果」と述べた。

中国は高速鉄道技術の海外輸出を模索しており、09年には米国ゼネラル・エレクトリック社と、時速350キロ以上の高速鉄道プロジェクトでの提携覚書を取り交わしている。

現在、数十カ国が中国からの高速鉄道技術導入を求めており、米国、英国、ロシア、ブラジル、中東などと鉄道分野での協力が実施、検討されている。(翻訳・編集/岡本悠馬)

これが旧国鉄がイメージしていた21世紀の東京駅

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昨日予告しました
 
旧国鉄が末期に計画していた
 
東京駅にイメージです
 
ご覧下さい
 
 
 
イメージ 1
 ~これが旧国鉄が構想していた21世紀の東京駅のイメージです~
<拡大してご覧下さい>
 
 
 
イメージ 2
 ~少し拡大して:手前が国鉄本社 右に中央郵便局が見えます~
 
 
 
イメージ 3
   ~東京駅改築工事の看板から(拡大してご覧下さい)~ 
 
 
 
<予告編>
 
                         ~幻に終わった21世紀の東京駅計画~
 
 
 
~国鉄最期の東京駅~
 
 
 
間もなくして東京駅は
 
戦前の面影を現します
 
しかし
 
国鉄では丸の内側の駅舎は建て直す計画が秘かに進められていたのです
 
 
・・・
 
 
JR東日本は国鉄の計画を止め
 
修復の選択肢を選びました
 
 
・・・
 
 
明日の投稿は
 
 
>幻に終わった21世紀の新しい東京駅計画の完成予想図
 
 
必見です
 
 
・・・
 
 
この影像を知るもの
 
極めて少ないのです
 
 
 
 
 
 
JR東日本、「赤れんが駅舎」を公開=10月1日全面オープン
 
時事通信2012/9/24 19:35
 「赤れんがの駅舎」で知られるJR東京駅丸の内駅舎を開業当時の姿に戻す工事がほぼ終わり、JR東日本 は24日、10月1日の全面オープンを前に駅舎を報道陣に公開した。

 公開されたのは駅長室や、壁の一部に開業時の赤れんがをそのまま用いたギャラリーなど。戦災で失われたドームや内部の彫刻も当時と同様に復元し、英中韓日の4カ国語で対応する「トラベル・サービス・センター」を新設した。 
 
 
 
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                         ~夜明けの東京駅 2012.06.27~
 
 
 
 
<YouTube>
 

最も望ましいリニア中央新幹線のルートは「起点;品川~終点;関空」

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   ~当時、リニアと関空が想定外だった“昭和48年11月15日 運輸省告示第466号”による中央新幹線構想~
                <起点;東京~甲府市付近~名古屋市付~奈良市付近~終点;大阪市>
 
 
 
 
リニア中央新幹線のルートは下記の基本決定が骨子です。
 
・・・
 
>昭和48年11月 国において基本計画の決定 
>全国新幹線鉄道整備法第五条第一項の規定により基本計画を決定した件(抄)
>昭和48年11月15日 運輸省告示第466号
>路線名:中央新幹線
>起点:東京都
>終点:大阪市
>主要な経過地:甲府市附近・名古屋市附近・奈良市附近
 
 
・・・
 
 
これは「 リニア」と「関空国際空港」が想定外だった40年以上も前の古色蒼然の中央新幹線構想です。
 
 
・・・
 
 
「 リニア中央新幹線構想の奈良市以西のリニアの望ましい終点は、当初案の「大阪市内」ではなくて、新たに浮上しているのは「関西国際空港」です。
 
新大阪でリニア新幹線と連絡すると、互いが共食い状態となって経営が不安定になることが予想されます。
 
誘発効果等を意識すると首都圏と関西の2大国際ハブ空港をつなぐ「リニア中央新幹線構想」が望ましいと思います。
 
 
 
 
 
・・・
 
 
 
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                           ~東のハブ空港(羽田)~
 
 
 
 
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                         ~西のハブ空港(関空)~
 
 
 
<YouTube>
 
<リンク>
 
 
  

<国鉄職員の人生>に係わり深い文書主義、組織と職種と人種と組合・・・神様

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これまで3年半ほどの間、想いつくままに1600ほどのしがない内容を投函させていただきました。
 
加齢でメガネをどんなに調整しても視力がよくならず、一件一葉の誤字交じりのブログでした。(頓首です)
 
先日、お友達からこれらを製本したものを頂戴しまた。
 
定年退職の際に花束を受け取った時の感動を覚えました。
 
 
・・・
 
 
ぼちぼち店じまいをしてもよい頃となりました
 
そこで“国鉄の<語り部>”として言いもらした事柄をもう少しまとめてみます。
 
 
・・・
 
 
今日のタイトル:
 
<国鉄職員の人生>を決める「国鉄の文書主義、組織と職種と人種そして神様」
 
といたしました。
 
 
 
 
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              ~蒸気機関車の機関士、期間助士だけに支給されていた防塵めがね~
 
 
 
以前にも書きましたが、入社すると国鉄職員として最低限求められるのが「鉄道公用文」のマスターです。
 
入社時に鉄道学園で授業がありますが、一般的には通信教育で資格を取得します。
 
すべての決定・指示・命令は書面・・・稟議書を起案して決済、記録に残す・・・安全第一、誤報・誤認防止から文書主義が徹底しています。そんな実践をしながら国鉄職員として涵養を重ねます。
 
加えて、完全な学歴社会でもあります。入社時の公認資格「大卒(本社・地方)、高専卒、高卒、中卒(鉄道工場で特殊技術者養成、終えると高卒))・・・短大は高卒待遇で選別されます。
 
付記事項としては、首都圏や大阪地域の職場に多いいのですが、家庭の経済的な関係から上京して国鉄で働きながら大学を卒業する方かなりおられたように思います。・・・ただ国鉄では社会的な大卒者として認められません。
 
それ以外に、駅員等をしながら国鉄付属機関の中央鉄道学園大学(国立)に入り幹部を目指そうとする職員もいます。
 
いずれにせよ「国鉄で働きながら資格を得る」という行為は、一般の職員からすると「危険を伴う安全第一の仕事を“手抜き”しながら自分の為に勉強した族(やから)」とやっかみも加わって冷たい視線があったようです。その批判を避けるために運転以外の職場を希望したり、合格すれば現場の評価は高まるので、当然、長はそれなりに挑戦しやすい環境の事務職等に配置転換の配慮をします。医大に合格して退職した職員もおりました。
 
職員の誰もが家族を幸せにさせようと組織の階段を登ろうと頑張るわけですが、管理局などの厳しい計画部門を経験などない大多数は、映画ポッポ屋のように“その道一筋”で勤続25年の永年勤続の功績賞をもらい、趣味を活かしながら定年を迎えます。
 
現職時代から作家や画家などで高名になり、総裁と友人?のような関係まで上り詰めた一般職員もおられます。あの郷ひろみさんの父親の最後は東京駅の助役さんでした。
 
また国鉄の官僚制度に馴染まない一握りは組合活動に走った方もおられます。僕は運転職場でしたから(世間では鬼といわれた)動労に自動的に?入っていました。・・・上司から「僕のようなものは、頼むから動労に入ってくれトカ、頼むから動労全国大会にに動労管理部門委員で参加してほしい等々・・・」、社会では当局と組合は犬猿の仲と思われていますが、ストや順法闘争以外では共存共栄の感です・・・。それでも若手の白ヘル組合員に僕は何度も攻撃されて身の危険を感じたものです。
 
 
・・・
 
 
以上は、一般の国鉄物語の本ならどこかに書かれている事柄です。これ以外の事柄としては、「統事(とうじ=僕の記憶ではこの漢字です)」という肩書きが印象的に残ります。国鉄全体で1~2名程度おられたようです。
 
僕が入社当時の定年退職の年齢は、確か55歳定年制でした。「統事」とは計画部門で対外交渉に係わる重要な余人に代え難い人物に与えられた定年後の呼称です。
 
それ以外に「神様」もおられます。神様とは組織に欠かせない知恵袋のような存在です。運転局にただ一人保安課におられました。統事といった特別な呼称でなく通称の補佐という職名でした。定かではありませんが職員局公認の定員外の人数ではないかと思います。
 
 
・・・
 
 
<参考:文書主義とは>
先月亡くなった小野田寛朗元少尉(91歳)がルバング島で30年近い戦いを止める条件として、元上官による戦闘中止命令書を要求したことでも分かります。このニューステレビを職場の上司の多くが琴線に触られたかのように凝視されておられました。若かった僕にとって強烈な印象深いシーンでした。国鉄職員も軍人も根っこは同じということですね。
 
 
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                   ~元上官の少佐から停戦命令を受ける小野田少尉~
                            <Yahoo画像検索から>
 
 
   

<不毛地帯>国鉄にも職業軍人壱岐正さん如し(その1)

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                           ~アマゾンのHPから~
                       <旧軍人壱岐正による企業ドラマ>
 
 
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                         ~習志野には鉄道連隊の演習線~
                     <戦後払い下げられて野田線になったとか>
 
 
 
このブログには、
 
僕自身が知らぬ間に先人から学んでいた伝承が多いと思います。
 
戦前の国鉄や外地にあった満鉄、朝鉄などの内部資料を読むと先人の教えがでてきます。
 
そして、僕が知る限りでは国鉄の大改革は、「安全綱領」の制定のように思います。
 
 
・・・
 
 
お友だちの中で大学生ならぜひ卒論のテーマには「安全綱領」を選択されてはどうでしょうか。
 
もしこれが東電の社是なら
 
<Fukushima nuclear power plant from March 11, 2011>
 
は起きなかったかもしれません。
 
当時の国鉄が滲ます人類愛の深さにきっと感銘を受けられると僕は思います。
 
最近は「お・も・て・な・し」という流行語がありますが、
 
僕だったら「あ・ん・ぜ・ん・こ・う・り・ょ・う」です。
 
外来語の責任回避を意識したような無責任な用語「安全文化」とか「組織事故」は一蹴されるでしょう。
 
 
・・・
 
 
“JR北海道の信じられないような不祥事”に対して社会から弾劾され、僕がお世話になった元会長の坂本さんは責任をとられて自死されました。人望があった方だけにとても残念に思います。僕がこのブログで申し上げていましたように「北海道は安全からもっとも希薄」と指摘したとおりになりました。
 
僕のキーワード「協働の質と人間の行為の質」がJR北で劣化した遠因は、橋本龍太郎元総理が危惧されていましたように「改革の設計ミスではないのか?」が当っているように思います。・・・一箇所疑問の改革(ミス)があったと僕は最期の経営計画室で資料を最初に見せられたときに思いました。逸話「アリの穴で堤防が崩れる」です。
 
 
 
・・・
 
 
話しがいつものように脱線しました。テーマに復線します・・・。
 
このブログの特徴の一つは、僕がよく用いる<国鉄は軍隊組織>などの”グンタイ”という用語です。
 

・・・
 

少し頻繁過ぎる感を僕自身も感じておりますが、地方組織、本社組織の幹部には意外と「士官学校出、海兵出」(の若手が、敗戦で大学に出直して国鉄入社した方が)多かったので、その影響だと思います。
 
 

・・・
 

終戦の年に生まれた僕にとっては、国鉄入社当時の「軍将校養成学校」出身者は、当時40代で雲の上の存在でした。いずれも小説“不毛地帯”の主人公の壱岐正のような風貌のある皆さんの観でした。
 
僕が国鉄本社(昭和50年前半)でもまだ士官学校、兵学校出の方がおられました。お酒の場で酔われると「エライ補佐を捕まえては“世が世なれば”お前をワシの馬番か従兵してやる」などとよく冗談を言っておられました。
 
それほど当時の軍学校は難関だったようです。国鉄での仕事ぶりは平民の僕とは違って元軍人らしく”大義”を大切にされておられていました。
 
 
 
・・・

 
 
<YouTube>
 
 
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