<祝>東海道新幹線50周年
~発車する一番新幹線 於:東京駅~
<NHK中継画面>
~発車する一番新幹線 0001A 於:東京駅~
<NHK中継画面>
~今日の産経新聞朝刊にはJR東海会社のお礼の広告が掲載されていました~
未知への挑戦であった東海道新幹線は、本当にマンマシン問題の苦労の連続でした。これまでと全く異なる運転取扱基準規程とか〝夜の運転取扱基準規程=確認車”等々のソフト、交流電車、車軸にはジェット戦闘機f104のベアリング技術が使用されていた。
鉄道技術研究所のハード問題だけでなく、高速と運転士問題に挑戦した鉄道労働科学研究所の貢献も見逃しできません。
<リンク>
<東海道新幹線最大の危機>
この稟議書は、東海道新幹線が開業して10年目ころから正常な運転ができなくなっていた。国鉄本社に新幹線総合調査委員会、その隷下に新幹線総局に新幹線輸送障害委員会が設置された。
この稟議書は、僕が運転局保安課当時、新幹線総合調査委員会の事務局をしていたのでその報告書を運輸省に報告するために立案したものです。(立案課長:山之内秀一郎、立案担当:田川正則)
~東海道新幹線が運転不能~
<僕は国鉄で多くの立案しましたが、その中で最も印象に残る稟議書の一つです>
~東海道新幹線運転事故・阻害件数の折れ線グラフ~
<開業の一年間に372件の初期故障が発生で、国鉄職員はこれに挑戦>
~開業2年目以降から急速に安定輸送が確保された~
~一個列車当たりの遅延時分~
<開業の昭和39年度=1.2分、昭和51年=6.2分>
~昭和50年ころになると経年劣化と制度疲労で運休が続出した(長大間合い)~