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Channel: むかし日本に国鉄があった
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大和の秋(その1)

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 頓首
 
夏バテもあって、ブログの投稿を少し怠けております。
 
高齢者にとって危険な夏は「冬眠の如し」でした。
 
それでも時折、”鉄友”とお会いして喫茶店などでガス抜きをしております。
 
鉄友さんは新型・旧型を云わずハードの車両にとても詳しいので覚えの悪い老兵の僕=国鉄職員は圧倒されます。
 
 もう秋、「冬眠から目覚めて」・・・。
 
 
・・・
 
 
今年(1月~8月≒50件)で思い出す主な鉄道ニュースは4つほどあります。
時系列に
 
 
1.JR北海道坂本元社長の自殺・・・経営計画室当時の僕の上司
 
2.JR西日本運転士が運転中に意識を失う・・・事故種別は「部内雑」という疾病事故
 
3.JR東海リニア中央新幹線(名古屋~東京)着手・・・真の目的は東海地震対策
 
4.JR西日本片町線線路陥没・・・事故種別は「部内雑」という責任事故
 
 
<特に4番目に絞り込んで再度コメント>
片町線の事故、僕は駅に抑止中の運転室横で指令が流す会話をかなり長く聞いていました。僕は指令員の教育をしていましたから、付和雷同の如く意味不明です。
 
2時間も止めたのにも驚きです。不要だった払い戻しもしたり⇒国鉄では払い戻ししない(規程上出来ない・・・JRの今でも)のです。
 
あの4.25からこれまで指令員に対する運心教育や異常時訓練などがいまだに十分でないことが判ります。
 
OBとして残念です。
 
 
 
 
 
 
                          ~秋の大和~
 
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~大和三山を遠望~
 
 
 
 
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 ~地元人でもほとんど知られていない聖徳太子産湯の井戸址~
 
 
 

今夜は”中秋の名月”

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 今夜は
 
”中秋の名月”ですね。
 
奈良では恒例の猿沢の池で舟遊びがありました。
 
 
~猿沢の池~
<興福寺が建立される前は谷川の一部だったそうです> 
 
 
 
 
<万葉集>
 
 
 去年見てし秋の月夜は照らせれど相見し妹はいや年離る(柿本人麻呂)
 
 
 
 
この歳頃になると似たような体験します。
 
 
 
 
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                    ~春日山から昇ってきた”中秋の名月”~
 
 
 
 
 
 
 
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「赤毛のアン」と「花子とアン」と国鉄小話

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 NHKではふたつの「アン」が放映中で、しかも両方とも視聴率が高いそうです。
 
その一つはアニメの「赤毛のアン」
     
 
もう一つは朝ドラ「花子とアン」
      
 
です。
 
画像にするとこんな感じです。
 
 
<赤毛のアン>
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                         <YouTubeから>
 
 
 
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                     ~マシュウおじさんとアン~
 
 
 
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                       ~舞台となった所  グーグルアース~
 
 
 
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                        ~こん島のこのあたり~
 
 
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                 ~緑の館は今ではゴルフ場のど真ん中~
 
 
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                  ~緑の館は今ではゴルフ場のど真ん中(2)~
 
 
 
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                    ~館です・・・グーグルアース~
 
 
 
                          <NHK>
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                   ~連子の長男純平の徽章に注目~
                     <曹長で将校教育生を示す>
 
 
 
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~国鉄入社間もない教育時代、旧陸軍とよく似た教育生を示す徽章~
<陸上自衛隊で教育を終えて>
・・・大義:よき社会人たれ、よき鉄道人たれ・・・
 
 
 
 
 
アニメ「赤毛のアン」は今から35年前頃、民放で放映されていた当時から人気アニメでした。その原書を東京銀座丸善で購入した思い出があります。
 
その本の翻訳者である花子の一生をNHK朝ドラで「花子とアン」を放映されています。同時にアニメの「赤毛のアン」もです。内容だけでなく映像や音楽も素敵ですね。
 
小説を読まれていない方はぜひ「アニメ」をご覧ください。朝ドラの人物背景がよりよく理解できると思います。
 
 
・・・
 
 
昨日の放映は終戦直前(1945年4月)が舞台でした。蓮子の長男純平が「特別休暇」で自宅に帰ってきました。
 
将校教育を受けている純平の軍服の襟には将校見習いを示す徽章が付いていました。国鉄にも同じような似た襟章でした。国鉄は軍隊組織といいますが本当ですね。
 
 
 
 <リンク>
 
 

<とても心配しています>片町線の線路陥没の反省

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お友だちから余った「青春切符」を戴いたので昨日はウロウロ電車にのってきました。
 
アチコチと乗り回し、最後は片町線で奈良に行くところ「河内磐船駅付近で線路トラブルのため運転できません」の意味不明の放送・・・長尾駅と四条畷駅間不通(約2時間半)となりました。
 
四条畷駅で抑止中の運転士に聞くと「長尾駅と四条畷駅間の6駅にはポイントが無いので折り返し運転ができません」と云うことでした。
 
 
>運転室には指令から無線が絶え間なく流れていました。
 
>駅のホームは「線路トラブル」を連呼、抑止中の電車の車掌はほとんど沈黙・・・その間2時間
 
 
事故種別としたは線路故障なのに、国鉄でも非公式に使用していた責任逃れ用語の「トラブル」を連発・・・で先輩として残念です。
 
 
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こういう時には指令は「代用閉そく方式」で単線運転することになっています。
 
これも指令しない・・・国鉄なら不作為として「責任事故」となります。
 
 
>これも先輩として更に残念です。
 
 
僕の出身であるJR西日本の指令は腰が引けている・・・指令が悪いというよりは運転保安部門の怠慢・・・異常時訓練不足なのです。
 
過去のいくつかの大事故、よく訓練された指令が普通に対応していれば防げたものでした。たとえば救急隊員の死傷、福知山、新幹線海底トンネルなどがそうですね。
 
 
・・・
 
 
ついでに抑止を受けた両駅の写真をご覧ください。どちらも「草生す線路」のような状態でした。今回の線路陥没の原因は、保線の保守にも問題があったように思います。
 
国鉄のノウハウが完全には承継されていないように思います。草創期の保安体制を鑑みればそこに錯誤が生じたように思います。
 
一に訓練、二も訓練です。 
  
 
 
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                  ~長尾駅と四条畷駅の間の上下線で午後3時半頃から約2時間~
 
 
 
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        ~長尾駅と四条畷駅の間の上下線で午後3時半頃から約2時間~
 
 
 
 
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                      ~四条畷駅は草生す線路~
              <海外の鉄道や国鉄時代にはありませんでしたね>
 
 
 
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                    ~抑止を受けた四条畷駅~
 
 
 
 
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                ~同じく抑止を受けていた長尾駅も草生す線路~
 
 
 
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  ~(参考)旅順港駅構内~
<この先の軍港駅も同じくらいきちんと保守されていました>
 
 
 
 
 
 
◎ 片町線 線路脇の土砂崩れる
  NHK 2014.08.28 21時07分
 
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大阪・交野内市のJR片町線で、線路脇の土砂が崩れているのが見つかり、JR片町線は、約2時間、運転を見合わせました。
28日午後3時ごろ、JR片町線の河内磐船駅に、交野市の職員から、「線路脇にくぼみがある」という連絡がありました。
JR西日本が調べたところ、交野市私市5丁目にある磐船街道踏切から約5メートルのところで、1線路脇の土砂が1メートルほどの幅で崩れているのが見つかりました。
この影響でJR片町線は、長尾駅と四条畷駅の間の上下線で午後3時半頃から約2時間、運転を見合わせました。JR西日本が、土砂が崩れた原因を調べています。

<ごきげんよう>鉄友と今朝の奈良です

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連休明けの24日(水曜日)、古い鉄友さんと鉄道談義をする機会に恵まれました。
 
3年ほど前に一度京都駅でお会いしただけでしたが、半端ではない鉄道知識と穏やかな人柄に触れた方でした。
 
時折、僕のブログに専門的なコメントを戴いていたので、御礼を兼ねて一度会おうということになっていましたが、お友だちはとてもお忙しくて、二度ほど流れてやっとこさの機会です。
 
 
・・・
 
 
鉄道の専門知識による質問・・・特に独学ながら計画部門にとても詳しいのです。この僕も時にはたじたじになったり、教えられました。
 
パソコンも詳しくて・・・老いた国鉄職員の僕曰く「世が世なれば僕の副官に採用したあげるよ(笑)」・・・国鉄本社でよく先輩に云われていた慣用語・・・酒の肴に酒(ビール、ハイボール、日本酒)などを酌み交わし、場所が僕の自宅、酔いも加わって延々6時間・・・友だち曰く「東海道新幹線往復したような感じです・・・」、当初は2時間ほどと予定していただけに、話が盛り上がりはひさしぶりに充実した時を感じました。
 
 
 
 
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 ~右手が鉄友だち 左が僕(間もなく70歳)~
 
 
 
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今朝の奈良の天気
 
 
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                    ~一片の雲のない秋晴れです~
 
 
 
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                       ~少し肌寒い気温18度~
 
 
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                ~秋になってもそのまま放置のグリーンカーテン~
       <少しまたすこしと葉が紅葉化?それでも毎朝の開花は20ほどあります>
 
 

<今日から連続朝ドラ>マッサンと鉄道

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                 ~今日からNHK朝ドラ〝マッサン”~
                        <NHK HP>
 
 
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~今日の放送から~
 
 
大人気の「花子とアン」が終わりました。毎日が日曜日の僕は衝動買で、出演された脳科学者?の茂木健一郎さん如く「赤毛のアン」の初版本まで手に入れてしまいました。
 
今日からマッサン、舞台になった竹原方面は僕にとって縁のあるところです。主人公の実家は酒屋・・・僕は小さい頃は各町には酒造所が必ずといいほど1件はありました。
 
瀬戸内は花崗岩の地質、酒造に最適な水が豊富に湧き出すのです。あの戦艦大和など帝国海軍の戦艦は広島の酒(加茂鶴、千福など)、国鉄ではSLなどの砂は広島のサラサラした砂が一番と云われていました。
 
 
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さて、今日の放送ご覧になりましたか?ポイントは「駅名票」です。チョット変だな~の画面がありました。小さな呟きです。
 
 
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~国鉄当時のむかしの時刻表から~
 
 
 
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~駅名〝いとさき⇔三原⇔ほんごう~
 <今日の放送から>
 
 
 
僕が機関士の時は「いとき場内進行!」、寝台特急「あかつき」などでも「いとき通過!」と
「sakiではなくてzaki」でした。
 
 
 
 
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                         ~名機EF58にて~
 
 
 
 

<呟き>僕の吉田調書の普通の読み方

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僕は若い頃原子炉のメルトダウンの実験研究をしていたので、専門的な視点から“吉田調書の読み方”を語ってみたいと思います。
 
昭和40年当時、メルトダウン研究は最終確認をしていました。わが国最初の原発建設(福島第一原発のこと)は最終段階にあり、この研究分野では日本は国際的に草分け的存在であり、最も進んだ国の一つでした。
 
以上を踏まえてこの吉田調書問題を鑑みることが必要です。世論の大勢は朝日新聞叩きの観がありますが、この叩きの奥にどろどろとしたものがチラチラ視えてきます。
 
 
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2011年3月11日、東北地方太平洋沖地震で福島第一原子力発電所はメルトダウンを起し、その一方、約10キロ南方にあり、同じ構造の沸騰水型福島第二原子力発電所ではメルトダウンの暴走抑え込んでいたのです。
 
 
 
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つまり第一原発は安全対策に失敗して所員の9割が結果的に職場を放置し、第二原発が安全であることを知って第一原発の所員が助けを求めて安全な第二に逃れたというのが真相のようです。
 
当時のアメリカ調査団の証言や第一の所員の供述は上記を裏付けるも記録があります。
 
 
・・・
 
 
とするならば第一原発の所長は、本来ならば「失敗の原因」という責任を問われなければなりません。
 
海水注入をして東日本を救った英雄という評論ががおられますが、僕がメルトダウンの研究をしていた当時も海水による実験も行われていました。
 
当時の第一原発の関係者も海水注入等々が「何事も対応が遅かった」ると語っています。
 
 
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つまり吉田調書は、メルトダウンを防いだ第二原発・・・「何事も対応が遅かった」・・・を意識して保身的な調書だった可能性が高いのです。
 
故に<本人の上申書に基づいて非公開とされていた>に至ったと僕は思います。
 
 
 
 
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             ~同じような設備で同じ時期の二つの原発は被災した~
            <一方はメルトダウン、もう一方は原子炉の冷却を守った>
 
 
 
この保身的な吉田調書を朝日新聞がスクープした記事で弾劾したのは報道人として当然だといっても過言ではないと僕は思います。
 
 
 
・・・
 
 
 (吉田調書)
2011年に7回に分けて吉田に対する聴取の応答内容をまとめた「聴取結果書」(後の、いわゆる「吉田調書」)は、当初、本人の上申書に基づいて非公開とされていた。
(上申書)
国会事故調が内部で調査のために用いる限りにおいて承諾するものであり、本件資料が、国会事故調から第三者に向けて公表されることは望みません。 
 
 
 ・・・
 
 

明日から10月 東海道新幹線開業50周年の日ですね。

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9月も今日で終わり、明日は東海道新幹線開業50周年の日ですね。
 
 
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NHKや民放各社では新幹線特集が組まれています。
初期の0系電車の思い出としては
 
・車両間のドアは今の自動ではなくて手でヨイコラショで開閉していたこと。
 
・機械式の列車位置情報装置があったこと。
 
・新幹線は国産ですが、唯一運転室にイタリア製の記録装置があったこと。
 
・車内案内は最新?バネ式オルゴールで予告(♪ちゃらちゃらら♪風)していたこと(在来線特急は音叉のような鍵盤を木槌で♪ピンポンパン♪風、叩いて知らせていた)
 
こんなことを思い出します。
 
 

<呟き>僕の吉田調書の普通の読み方(追伸)

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3.11以降、現地で勤務していた福島第一原発の所員は次のように語る
 
 
>遅遅として安全対策はすすんでいなかった。むしろ遅すぎるの観があlり、すでにメルトダウンが起きているのではないかと感じていた、そのような中、第一原発内で自衛隊、消防、警察の関係者は死をおそれない行動をしていた・・・・(概要)
 
 
ここは戦場と同じ、同胞の自衛隊、消防、警察の関係者は決死の思いで飛び込んでいるのに報道記者は何をしていたのだろうか。
 
朝日新聞のスクープでわかったことは「マスコミは官邸や東電本店から発表されるペーパーを鵜呑みにしていた」、原発施設には誰一人飛び込んで取材していなかったということです。
 
先の大戦で「大本営陸海軍部発表!」プレスそのものです。ミッドウエイ海戦の負け戦の報道でも勝った!勝った!の報道で何も検証しない。(当時、新聞社は秘かにであろうと短波用ラジオで、ロイター通信から大敗を聴いていたはず。)
 
 
 
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               ~原発にも飛び込まず、後方で記事を書くだけ~
 
 
 
 
 
 
 
戦争や紛争などでは必ず、マスメディアは従軍記者とか戦場カメラマンを第一線に送り込み、殉職と隣り合わせで記録を書き、映像を撮り社会に真相を伝えようとしています。
 
軍人なら観戦武官として第三国の戦場でも第一線に立ち、戦死もする。
 
たとえそれが戦でなくても、大災害の現場に飛び込む自衛官、消防隊員や警察官も同じような心得で行動します。
 
こんな守りをして下さる皆様がいて下さるからわが国の国民は安心し、国に誇りを持っているのです。
 
 
・・・
 
 
さる5月20日、朝日新聞がスクープした「原発所員9割勝手に 撤退」記事を読んで本当に驚いた。
 
 
 
加えて
 
この9月11日のこのスクープ取り消しも更なる驚きです。
 
 
・・・
 
 
 
時の政府が発表するむかしの大本営発表如くをそのままを発表して、スクープした朝日新聞だけでなくこれを誤報記事として攻撃する産経新聞等々のマスメディアも”遠望しながら”大本営発表”を作文してニュースにしていたのである。
 
 
 
 
 
 
時の政府が発表する
 
 
 
 
~戦う兵士に同行して記録を獲る~ 
 
 
 ~戦場カメラマン~
 
 
 ~身を挺して撮る~
 
 
                         ~身を挺して撮る~
 
 
 
以前僕はこのサイトで
 
フクシマ第一原発危機の際、東電社長に対して「僕はメルトダウンの研究をしていたことがあり、原発建屋に飛び込んで放射能で死ぬまでの間、専門家の視点で破損状態を報告したい」と決死隊志願をのし出たことがあります。
 
その日の深夜、社長秘書室の男性から「本当に行ってくれるか?」と確認の問い合わせがあり「決意は変わらない・・・」、それを確認した秘書は電話を切った。
 
その時点でフクシマ第一原発が最悪の状況に追い込まれていたと僕は思った。
 
結局、フクシマ第一原発では所員の9割が職場を離れ、事態が把握されないまま更に悪化させた可能性があると僕は思う。
 
 
 
 <顛末>
しかし吉田前所長が死去した翌年の2014年5月に、朝日新聞が吉田の「聴取結果書」(一部?)を非公式に入手したとして、その内容と称する記事を「福島第一の所員、命令違反し撤退、吉田調書で判明」などと題してスクープで報じた。
 
そしてこの9月11日、朝日新聞は「フクシマ第一原発所員の9割が同第二原発に無断で避難したとの〝誤報”」で社長が謝罪した。
 
 
・・・
 
 
 
 
~2014.9.12 謝罪報道朝日新聞~
 
 
~2014.9.12 吉田調書報道を撤回 産経新聞~
 
 
 
 ~2014.9.20 解任を報じる産経新聞~
 
 
<Wikipedia:吉田調書>
 
 
 
 
 
 
<参考>
 
 
                     ~映画:チャイナシンドローム~
 
<Wikipedia:チャイナシンドローム>
 
 
 
 
 ~3.11では二人のように現地に乗り込んで真実を伝えようとした報道人はいただろうか~
           <常在戦場:従軍記者や従軍カメラマンのいないマスメディア>
 
 
 
 
 
 ~第一原発の避難して9割の所員は、周辺行政機関などに報告したか~
 
 
 
 
~所長は我が身と引き換えに州の住民を守った~
 
 
 
 
~フクシマに英雄はいただろうか~
<メルトダウンを防いだ第二原発の皆さん>
~米国調査団も同じような評価をしていた~
 
 
 
 
 
 
 
 
 
<参考> 
 
◎非公開に至った経緯(Wikipedia)
 吉田に対する聴取の応答内容をまとめた「聴取結果書」(後の、いわゆる「吉田調書」)は、当初、本人の上申書に基づいて非公開とされていた。
 
>国会事故調が内部で調査のために用いる限りにおいて承諾するものであり、本件資料が、国会事故調から第三者に向けて公表されることは望みません。 (上申書より引用)
 
 
 
◎「吉田調書」報道 なぜ誤報 検証が重要だ
 北海道新聞(社説) 2014.09.12
 

 朝日新聞は東京電力福島第1原発所長で事故対応の責任者だった吉田昌郎(まさお)氏=2013年死去=が政府事故調査・検証委員会に語った、いわゆる「吉田調書」をめぐる命令違反の記事を取り消した。

 

 木村伊量(ただかず)社長が記者会見し、謝罪した上で誤報を生んだ社内の改革に道筋がつけば速やかに進退を決断すると述べた。

 

 ことは新聞全体に対する信頼に関わる問題である。記事を撤回し、責任者が進退に言及すれば済むものではあるまい。

 

 なぜ誤ったのか。朝日新聞は検証し、原因をつまびらかにする。それが報道機関としての自浄能力であり、不信を払拭(ふっしょく)する道だ。

 

 「吉田調書」報道は今年5月20日、「所長命令に違反、原発撤退」との見出しで紙面化された。

 

 調書を独自入手してまとめたという記事は、2号機で衝撃音があった11年3月15日早朝の状況を語った内容だ。

 

 記事の肝はこうだ。

 吉田氏は「高線量の場所から一時退避し、すぐに現場に戻れる第1原発構内での待機」とテレビ会議で命令したが、所員およそ720人の9割が命令に従わず、10キロ南の第2原発に撤退していた―。

 

 その中には事故対応を指揮するはずだった部課長級の社員も含まれ、記事は東電内規にも違反する可能性があると指摘した。

 

 事故現場での東電の態勢に重大な疑義を抱かせる内容である。

 

 ところが政府が公開した調書の中で吉田氏はテレビ会議の詳細に触れず、「第2原発に行ったのは正しかった」とも証言、命令違反がなかったという認識を示した。

 

 ここが記事内容と大きく食い違う点だ。朝日新聞は会見で問題のテレビ会議での指示について、所員から裏付けがとれていなかったことを認めた。

 

 一連の経緯について、朝日新聞は引き続き検証するという。取材や執筆の過程のどこで、どう間違えたのか。具体的に把握し、説明してもらいたい。

 

 一方、政府にも注文したい。

 

 事故調は700人超の関係者から1500時間にわたって聞き取りを行った。調書は吉田証言に限らず、過酷な原発事故の本質を明らかにする重要な資料である。

 

 安全対策などに生かせるはずだ。原発の再稼働を急ぐ前に、政府はできるものから公開し、国民の判断を仰ぐのが筋だろう。

 

 報道機関の使命は言うまでもなく「迅速で正確な報道」である。自戒したい。
 
 
 
◎朝日新聞の報道は「所長命令に違反し、所員の9割が原発撤退」
  産経新聞 2014.8.18 10:04

 朝日新聞は、東京電力福島第1原発の所長だった吉田昌郎氏が、政府の事故調査・検証委員会の調べに答えた非公開の聴取結果書を入手し、5月20日付朝刊でその内容を報じた。
 
 「所長命令に違反 原発撤退」を大見出しにした上で、吉田調書などを根拠に「吉田氏の待機命令に違反し、所員の9割が福島第2原発へ撤退していた」と報道した。撤退した人の中には事故対応を指揮するはずのグループマネジャーと呼ばれる部課長級の社員もいたことから、「その後、放射線量は急上昇しており、事故対応が不十分になった可能性がある。東電はこの命令違反による現場離脱を3年以上伏せてきた」と指摘した。
 
 その後も、「吉田氏、非常冷却で誤対応」「ドライベント、福島第1原発3号機で準備 大量被曝(ひばく)の恐れ」など、吉田調書に基づいた続報を掲載。社説では「吉田調書は最も貴重な国民の財産」として、公開を主張している。
 
また、朝日新聞のホームページでは、吉田調書の要約版を日本語と英語で公開(会員登録が必要)している。
 
 朝日新聞社広報部のコメント「吉田氏が命じたのは、高線量の場所から一時退避し、すぐに現場に戻れる第1原発構内での待機だったことは、記事で示した通りです。10キロ離れた第2原発への撤退は命令に違反した行為です。一部週刊誌の『虚報』『ウソ』などの報道は、朝日新聞社の名誉と信用を著しく毀損(きそん)しています。厳重に抗議するとともに、訂正と謝罪の記事の掲載を求めています」
 
 
 
 
 
◎第2への退避、吉田氏「正しかった」 元所員「命令違反ではない」本紙に証言
  産経新聞 2014.8.18 16:00
 
 17日に判明した政府事故調の「吉田調書」。その文面から、東京電力福島第1原発にいた所員らの9割が10キロ南の福島第2原発に一時退避したことを、吉田昌郎所長(当時、25年7月9日死去)が「正しかった」と認識していたことが分かる。朝日新聞は5月20日付朝刊で、吉田調書に基づき「所員らは吉田氏の待機命令に違反し、第2原発へ撤退」と報じたが、第1原発の複数の元所員は産経新聞の取材に「命令違反ではない」と明言する。吉田調書と関係者の証言から経緯を追った。(原子力取材班)
 第1原発所員の第2原発へ退避したのは、東日本大震災4日後の平成23年3月15日午前7時ごろ。第1は最大の危機を迎えていた。
 前日の14日夜には、第1原発2号機への注水に使っていた消防車が燃料切れで動かなくなったことで、原子炉格納容器が壊れ、多数の所員に危害が生じることが懸念された。
 テレビ会議映像では、当時東電本店(東京都千代田区)にいた幹部が14日午後8時16分ごろ、「1F(福島第1)にいる人たちみんな2F(福島第2)に避難するんですよね」と発言。緊急時対策室を第2へ移す検討を始めていたことが分かっている。
 
  15日午前5時半ごろには、菅直人首相(当時)が東電本店を訪れ、「撤退したら東電は100%つぶれる。逃げてみたって逃げ切れないぞ」と絶叫した。このとき、テレビ会議映像を見た元所員は「誰が逃げるものか」と反発を覚えたと振り返る。
 午前6時14分ごろ、2号機の方向から爆発のような音が聞こえ、原子炉圧力抑制室の圧力がゼロになったという報告が入った。格納容器破壊の懸念が現実味を帯び、複数の元所員によると、吉田氏は「各班は最少人数を残して退避」と命じ、班長に残る人員を決めるように指示、約650人が第2原発へ退避した。
 調書によると、吉田氏は「本当は2Fに行けと言っていないんですよ。福島第1の近辺で、所内にかかわらず線量の低いような所に1回退避して次の指示を待てと言ったつもりなんですが」と命令の行き違いがあったことを示唆している。朝日新聞は、吉田氏のこの発言などから「命令違反」と報じたとみられる。
 しかし、調書で吉田氏は「考えてみればみんな全面マスクをしているわけです。(第1原発で)何時間も退避していたら死んでしまうよねとなって、2Fに行った方がはるかに正しいと思った」と、全面マスクを外して休息できる第2原発への退避が適切だったとの認識を示している。菅氏らが「第1原発からの撤退」との疑心暗鬼にとらわれていたことを問われると、吉田氏は「現実として逃げていない」と否定した。
 
 
免震重要棟で、報道陣の質問に答える
吉田昌郎所長(中央)と細野豪志・原発担当相(当時)
=福島県大熊町、2011年11月12日撮影
 

 当時、現場にいた複数の元所員も産経新聞の取材に「命令違反」を否定した。40代の元所員は「第1原発では乾パンや水しかなく環境は日に日に悪化しており、第1のどこかに待機するというのはありえない」と語る。吉田氏の命令は第2への退避と受け止めたという。
 別の中堅元所員も「第1原発にいた所員は、退避するなら第2へという共通認識があった。それが吉田氏の命令違反であるはずがない」と証言した。
 当時、第1原発にとどまったのは吉田氏ら69人。15日昼ごろには第2に退避していた多数の人が戻った。
 吉田氏と一緒に現場にとどまったベテランの元所員は「(第1に)残りたいという人ばかりだった。第2までの道は崖崩れの危険があったから、退避した人から『第2に無事に到着した』という連絡があったときには、第1に残った人は『ああよかった』とお互いに喜び合った」と語る。
 別の東電関係者も「当時自家用車で第2へ退避した人も多く、逃げるのであればそのまま避難所にいる家族のもとに行っているはずだ。しかし、彼らは第1へ戻ってきた」と話した。
 
 
 
 
 
◎池上彰が朝日叩きに走る新聞、週刊誌を批判! 他紙での掲載拒否も告白!
  LITERA/リテラ  2014年09月21日21時40分

 
 
         ~画像は『ここがポイント!!池上彰解説塾』(テレビ朝日)公式サイトより ~
 

 ありとあらゆるメディア、識者、ジャーナリストが問題の本質をネグって、"朝日吊るし上げ"に熱狂する言論状況。そんな中、本サイトは逆に朝日を叩く側、読売新聞や産経新聞、週刊誌、そして安倍政権に対して、「おまえたちも同じアナのムジナだ!」と徹底批判を展開してきた。付和雷同、勝ち馬に乗ることしか考えていないこの国のメディアの中でこんな酔狂なまねをするのは自分たちくらいだろうと覚悟しつつ......。実際、いくら書いても孤立無援、本サイトの意見に同調してくれる新聞、テレビ、雑誌は皆無だった。
 ところがここにきて、意外な人物が本サイトと同様、メディアの"朝日叩き"への違和感を口にし始めた。その人物とは、朝日新聞の連載で朝日の報道姿勢を批判するコラムを書いて掲載を拒否された池上彰氏だ。
 この問題は朝日新聞による言論の封殺だとして読者から非常な不評を買い、朝日にとって「慰安婦問題」や「吉田調書」以上にダメ―ジになったと言われている。ところが、一方の当事者であるその池上氏が「週刊文春」(文藝春秋)9月25日号の連載コラム「池上彰のそこからですか!?」で、朝日を叩いている他のメディアも同じようなことをしていると指摘したのだ。
 まず、池上氏は冒頭で「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい」という聖書の一節を引いた上で、こんな体験を語る。
「私は、かつて、ある新聞社の社内報(記事審査報)に連載コラムをもっていました。このコラムの中で、その新聞社の報道姿勢に注文(批判に近いもの)をつけた途端、担当者が私に会いに来て、『外部筆者に連載をお願いするシステムを止めることにしました』と通告されました」
「後で新聞社内から、『経営トップが池上の原稿を読んで激怒した』という情報が漏れてきました」
 ようするに、朝日新聞と同様の掲載拒否が別の新聞社でも起こっていたことを暴露したのだ。池上氏は「新聞業界全体の恥になると考え」この一件を封印してきたが、「歴史を知らない若い記者たちが、朝日新聞を批判する記事を書いているのを見て」敢えて過去の体験を明かすことにしたという。そして、冒頭で引用した聖書の一節を再び使ってこう指摘している。
「その新聞社の記者たちは『石を投げる』ことはできないと思うのですが」
 さらに池上氏は朝日新聞が自社の批判特集を掲載した週刊誌の広告掲載を拒否したことにも言及している。この件もまた、他の新聞が激しい批判を展開していたが、池上氏は皮肉まじりにこう書く。
「『そんなに朝日のことを批判できるのかなあ』と思った『週刊現代』の関係者もいるのではないでしょうか。かつて『週刊現代』の新聞広告が、新聞社から長期にわたって掲載を拒否されたことがあったからです。(略)この時期、『週刊現代』は、その新聞社の経営トップに関する記事を立て続けに掲載していました。まさかそれで広告掲載拒否になったなどということは、ありえないと思うのですが」
 実はこの件については、本サイトも全く同じことを指摘していた。池上氏は新聞社名を伏せているが、この新聞社とは読売新聞のことだ。「週刊現代」(講談社)が読売の渡辺恒雄会長への批判や読売巨人軍の不祥事を報道していたところ、ナベツネ会長のツルの一声で「週刊現代」の広告掲載拒否が決まったのである。
 また、本サイトは今回の問題を読売、産経が新聞拡販に利用し、本社販売部からの「朝日攻撃指令」などの指示が出ていることを暴露。結局、商売目的でしかないと批判したが、池上氏も同様の指摘をしている。
「朝日の検証報道をめぐり、朝日を批判し、自社の新聞を購買するように勧誘する他社のチラシが大量に配布されています。これを見て、批判は正しい報道を求めるためなのか、それとも商売のためなのか、と新聞業界全体に失望する読者を生み出すことを懸念します」
 池上の矛先はさらに古巣NHKにも及んでいる。それは1981年2月、当時の『ニュースセンター9時』を舞台にしたものだった。
「ロッキード事件から五年になるのに合わせて特集を組みました。このとき三木武夫元総理のインタビューが、当時の報道局長の指示で放送直前にカットされるという事件がありました」
 これに対し、政治部長も社会部長も各部のデスクも記者たちも激怒、その説明を求めたが、しかしインタビューは放送されることもなく、次の人事異動で政治部長、社会部長ともに異動になったという。そして、池上氏はそのNHKと比べるかたちで、「少なくとも朝日の幹部は判断の誤りを認め、謝罪するという態度をとった」として、評価する姿勢を見せている。
 池上氏の批判は、このコラムが掲載されている「週刊文春」をはじめとする週刊誌にも向けられている。
「一連の批判記事の中には本誌を筆頭に『売国』という文字まで登場しました。これには驚きました。『売国』とは日中戦争から太平洋戦争にかけて、政府の方針に批判的な人物に対して使われた言葉。問答無用の言論封殺の一環です。少なくとも言論報道機関の一員として、こんな用語を使わないようにするのが、せめてもの矜持ではないでしょうか」
 いかがだろうか。新聞社名を伏せるなど、池上サンらしい配慮とバランスを見せていることにはちょっと不満が残るが、おっしゃっていることはすべて正論。正直、この人がここまできちんとした言論の自由への意識、ジャーナリストとしての倫理観をもっているとは思っていなかった。こんな人物がポピュラリティをもってメディアで活躍できていることを素直に喜びたいと思う。
 だが、同時に暗澹とさせられるのが、この国のメディアでこうした意見をはっきりと口にしたのが、今のところ、池上サンただ1人しかいないという事実だ。新聞もテレビも雑誌もそんなことはおくびにもださず、安倍政権と世の中の空気に乗っかって朝日叩きに血道をあげているだけだ。
"朝日叩き"は売れるコンテンツらしいから、やるなとはいわないが、せめて、返す刀で安倍政権や自分たちも含めたメディア全体の責任を検証すべきではないか。
 それは袋だたきにあっている朝日も同様だ。朝日こそこうした反論と真相の暴露をするべきなのに、それをまったくすることができず、まるで食品不祥事を起こした企業のようにひたすら頭を下げてその場をやりすごそうとしている。
 この国で、メディアにジャーナリズムの使命感や矜持を求めるなんていうのはもはや、八百屋で魚を求めるようなものなのかもしれない。
(エンジョウトオル)
 
 

<呟き>僕の吉田調書の普通の読み方(追伸-2)  中谷宇吉郎博士

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                        ~中谷宇吉郎博士~
 
 
 
雪の結晶の研究で知られている中谷宇吉郎博士は次のように語っておられた。
 
 
>☆☆8.定量的と定性的(中谷宇吉郎著 科学の方法 岩波新書 1958)
 
 
一般的に定性的分析よりも定量的分析の方が優れていると思われがちだが、時として定性分析の方が優れている場合がある・・・。
 
 
・・・
 
 
朝日新聞のスクープ記事は完璧な裏付けはなかったと同業他紙は叩くが、定性的と考えればこれで十分である。
 
副次的に福島第一原発と同じシステムの福島第二原発が全所員による英雄的な行為でメルトダウンが防止された結果、東日本の壊滅を防いだことがこのスクープ記事は判明した。
 
これら2つの原発における「作為と不作為」を重ね合わせれば、スクープ記事の社会に知らしめた貢献度は図り知れない。
 
 
・・・・
 
 
<追伸>
 僕の父はあの南京で戦った。当時の従軍日記を読むと朝日新聞が報道したような「南京虐殺」はなかったと思う。
 もう一つの僕の調査:地元奈良歩兵連隊の補充将校の私記に「南京陥落した数か月後、南京城内の喫茶店に立ち寄ったところ、若い日本人の娘がウェイトレスとして笑顔で迎えてくれた・・・」と記述がある。
 仮に中国が云う30万人という大虐殺があったとしたら、広島が被爆直後に捕虜となっていた米兵を生き残った女たちが泣きながらなぶり殺した・・・現地で見た父親証言・・・この日本娘は南京市内の喫茶店で働くどころか惨殺されていたと僕は思う。
 南京虐殺とか吉田証言(従軍慰安婦)と吉田調書スクープ報道を一緒にして論じてはならないと僕は思う。
 
 
 
 
 

<祝>東海道新幹線50周年

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   <祝>東海道新幹線50周年
 
 
 
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                    ~発車する一番新幹線 於:東京駅~
                          <NHK中継画面>
 
 
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              ~発車する一番新幹線  0001A 於:東京駅~
                          <NHK中継画面>
 
 
 
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     ~今日の産経新聞朝刊にはJR東海会社のお礼の広告が掲載されていました~
 
 
 
 
 未知への挑戦であった東海道新幹線は、本当にマンマシン問題の苦労の連続でした。これまでと全く異なる運転取扱基準規程とか〝夜の運転取扱基準規程=確認車”等々のソフト、交流電車、車軸にはジェット戦闘機f104のベアリング技術が使用されていた。
 鉄道技術研究所のハード問題だけでなく、高速と運転士問題に挑戦した鉄道労働科学研究所の貢献も見逃しできません。
 
 
 
 
 
<リンク>
 
 
 
<東海道新幹線最大の危機>
 この稟議書は、東海道新幹線が開業して10年目ころから正常な運転ができなくなっていた。国鉄本社に新幹線総合調査委員会、その隷下に新幹線総局に新幹線輸送障害委員会が設置された。
 
 この稟議書は、僕が運転局保安課当時、新幹線総合調査委員会の事務局をしていたのでその報告書を運輸省に報告するために立案したものです。(立案課長:山之内秀一郎、立案担当:田川正則)
 
 
 
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                    ~東海道新幹線が運転不能~
    <僕は国鉄で多くの立案しましたが、その中で最も印象に残る稟議書の一つです>
 
 
 
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              ~東海道新幹線運転事故・阻害件数の折れ線グラフ~
      <開業の一年間に372件の初期故障が発生で、国鉄職員はこれに挑戦>
              ~開業2年目以降から急速に安定輸送が確保された~
 
 
 
 
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                   ~一個列車当たりの遅延時分~
            <開業の昭和39年度=1.2分、昭和51年=6.2分>
             
 
 
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    ~昭和50年ころになると経年劣化と制度疲労で運休が続出した(長大間合い)~
 
 

不思議:一個列車当たりの遅延時分の裏話

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<不思議:一個列車当たりの遅延時分の裏話>

・開業の昭和39年度=1.2分
・昭和51年=6.2分

東海道新幹線の線路は土盛りがほとんどなので線路踏み固めを兼ねた路盤安定とか初期故障対策・・・当時は車軸折損なども未知の領域・・・に配慮して、東京~新大阪間をひかり4時間、こだま5時間運転であった。

初期故障多発ながら安定運転状態の遅延1.2分の背景には「通達で最高速度160キロ制限、しかしATC信号は210㌔」と云うことで、線路踏み固め等の理由を知らない運転士はトラブルで遅延回復とか乗客の200㌔体験の要望に応えて160を超えて210までノッチアップしていた逸話があります。

草創期の列車指令マニュアルや新幹線取扱心得は教育が徹底していなかった場面がありました。異常時に速度違反の倍の最高速度210で飛ばしていた運転士もいたほどです。 削除
2014/10/1(水) 午前 8:27 [ 国鉄の<語り部> ]
 
 
・・・
 
 
上記の<コメント>投稿を終えて、やれやれと新聞を開いたら、問題の記事がそっくり出ていました。噂をすれば何とやらです。
 
当時の東海道新幹線支社(後の新幹線総局)の通達にも係らず新幹線運転士による違反行為が日常的にあった決定的な証拠です。
 
脱線の危険性があったのです。
 
加えて、頻発するトラブルがありながらほぼ定時運転という<異常さ>を放置、当時の新幹線列車指令の黙認にも問題があります。
 
中央指令備え付けの記録を読めばすぐにわかります。まだまだ新幹線経営=「協働の質と人間行動の質」が手探り状態であったことが判ります。
 
 
 
 
 
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  ~国鉄職員は誰もが不快! 「誇りの通達破り」、産経新聞の安全倫理観のない見出し~
     
 
 

<再訪>新薬師寺

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奈良でお気に入りのお寺の一つが
 
新薬師寺です。
 
・・・
 
近鉄奈良駅から散策すると
 
「興福寺⇒美術館⇒東大寺⇒春日大社⇒新薬師寺・・・山之辺の道へ至る」
 
が奈良観光客の一般的なコースです。
 
 
・・・
 
 
薬師という名が付くお寺は全国に多くあると思いますが
 
奈良では三か所が知られています。
 
藤原京の本薬師寺址(移築したのが平城京の薬師寺)そして新薬師寺
 
定かではありませんが
 
創建当時で最も大きな伽藍は新薬師寺のようです。
 
 
・・・
 
 
さびのある境内は、季節を問わず素敵なお寺です。
 
 
 
 
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                       ~仮のお住まい本堂~
 
 
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                                        ~拝観の際に頂いたパンフレットから~
 
 
 
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 ~南門に掲げられている神仏(携帯)~
 

ロマンを求めて<山の辺の道>

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いろんな<道>があるそうです。
 
王道という道もあり
 
これを英語でないカタカナで表すとグランヴィアだそうです。・・・どこかのホテル名ですね。
 
・・・
 
孔子が説く道
 
老子の道
 
鉄の道といろいろありますが
 
今日はロマンあふれる「山の辺の道」にちょこっと歩きましょう。
 
初心者なら近鉄天理駅からお入りください。
 
※:夏の熊野古道、四国のお遍路はちょっとしんどいです。
 
 
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   ~鶏で知られる神社がスタート地点、終点までほぼ連続したなだらかな下り坂です~
             <奈良時代の藤原京から明日香京への古道です>
 
 
 
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      ~涼しい微風に魔除けの風鈴が・・・いろんな歌が詠まれていました~
        <ロマンを求める人とすれ違います。大和のお遍路さんですね>
 
 
 
 
 
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              ~これは男の神様を祀る社です。造り方で分かります~
 
 
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             ~もともとは獅子なのに狛犬?阿吽の象徴です~
     <狛犬が渡来した飛鳥時代以前の古い神社にはおかれていないようです>
 
 

<奈良の夏の終わりを告げた>灯華会

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旧国鉄職員(JR社員)にとって東大寺は、靖国神社のようなものです
 
東大寺の南大門をくぐると参道の左手に鉄道殉職者の供養塔があります。
 
いろんな殉職者・・・僕が現職当時に忘れられない殉職者もここに祀られています。
 
鉄道に関心のある皆様も一度お詣りをおすすめします。
 
 
 
         ~一斉にロウソクに点灯するまで猿沢の池で待機します~
                     <興福寺の五重の搭>
 
 
~竹筒の中に蝋燭を浮かべて点灯~
 
 
 
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~供養塔を案内する石碑~
 
 
 
 
 
 
 
灯華会が終わるとまもなく秋です。

今夜の月

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                     ~今夜の古都奈良の長月~
 
 
 
万葉集 巻四 735  春日山霞たなびき情ぐく照れる月夜に独りかも寝む
 
 
 

今夜は”中秋の名月”

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 今夜は
 
”中秋の名月”ですね。
 
奈良では恒例の猿沢の池で舟遊びがありました。
 
 
~猿沢の池~
<興福寺が建立される前は谷川の一部だったそうです> 
 
 
 
 
<万葉集>
 
 
 去年見てし秋の月夜は照らせれど相見し妹はいや年離る(柿本人麻呂)
 
 
 
 
この歳頃になると似たような体験します。
 
 
 
 
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                    ~春日山から昇ってきた”中秋の名月”~
 
 
 
 
 
 
 
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<大和の月夜>今日 (9月27日) の月齢は 2 です

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                     ~今夜の西方の月 18:19~
 
 
万葉集 2128: 秋風に大和へ越ゆる雁がねはいや遠ざかる雲隠りつつ
 
 
 
 
 

「赤毛のアン」と「花子とアン」と国鉄小話

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 ごきげんよう。
 
NHKではふたつの「アン」が放映中で、しかも両方とも視聴率が高いそうです。
 
その一つはアニメの「赤毛のアン」
     
 
もう一つは朝ドラ「花子とアン」
      
 
です。
 
画像にするとこんな感じです。
 
 
<赤毛のアン>
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                         <YouTubeから>
 
 
 
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                     ~マシュウおじさんとアン~
 
 
 
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                       ~舞台となった所  グーグルアース~
 
 
 
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                        ~こん島のこのあたり~
 
 
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                 ~緑の館は今ではゴルフ場のど真ん中~
 
 
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                  ~緑の館は今ではゴルフ場のど真ん中(2)~
 
 
 
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                    ~館です・・・グーグルアース~
 
 
 
                          <NHK>
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                   ~連子の長男純平の徽章に注目~
                     <曹長で将校教育生を示す>
 
 
 
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~国鉄入社間もない教育時代、旧陸軍とよく似た教育生を示す徽章~
<陸上自衛隊で教育を終えて>
・・・大義:よき社会人たれ、よき鉄道人たれ・・・
 
 
 
 
 
アニメ「赤毛のアン」は今から35年前頃、民放で放映されていた当時から人気アニメでした。その原書を東京銀座丸善で購入した思い出があります。
 
その本の翻訳者である花子の一生をNHK朝ドラで「花子とアン」を放映されています。同時にアニメの「赤毛のアン」もです。内容だけでなく映像や音楽も素敵ですね。
 
小説を読まれていない方はぜひ「アニメ」をご覧ください。朝ドラの人物背景がよりよく理解できると思います。
 
 
・・・
 
 
昨日の放映は終戦直前(1945年4月)が舞台でした。蓮子の長男純平が「特別休暇」で自宅に帰ってきました。
 
将校教育を受けている純平の軍服の襟には将校見習いを示す徽章が付いていました。国鉄にも同じような似た襟章でした。国鉄は軍隊組織といいますが本当ですね。
 
 
 
 <リンク>
 
 

<ごきげんよう>鉄友と今朝の奈良です

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連休明けの24日(水曜日)、古い鉄友さんと鉄道談義をする機会に恵まれました。
 
3年ほど前に一度京都駅でお会いしただけでしたが、半端ではない鉄道知識と穏やかな人柄に触れた方でした。
 
時折、僕のブログに専門的なコメントを戴いていたので、御礼を兼ねて一度会おうということになっていましたが、お友だちはとてもお忙しくて、二度ほど流れてやっとこさの機会です。
 
 
・・・
 
 
鉄道の専門知識による質問・・・特に独学ながら計画部門にとても詳しいのです。この僕も時にはたじたじになったり、教えられました。
 
パソコンも詳しくて・・・老いた国鉄職員の僕曰く「世が世なれば僕の副官に採用したあげるよ(笑)」・・・国鉄本社でよく先輩に云われていた慣用語・・・酒の肴に酒(ビール、ハイボール、日本酒)などを酌み交わし、場所が僕の自宅、酔いも加わって延々6時間・・・友だち曰く「東海道新幹線往復したような感じです・・・」、当初は2時間ほどと予定していただけに、話が盛り上がりはひさしぶりに充実した時を感じました。
 
 
 
 
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 ~右手が鉄友だち 左が僕(間もなく70歳)~
 
 
 
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今朝の奈良の天気
 
 
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                    ~一片の雲のない秋晴れです~
 
 
 
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                       ~少し肌寒い気温18度~
 
 
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                ~秋になってもそのまま放置のグリーンカーテン~
       <少しまたすこしと葉が紅葉化?それでも毎朝の開花は20ほどあります>
 
 
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