大和の秋(その1)
今夜は”中秋の名月”
「赤毛のアン」と「花子とアン」と国鉄小話
<とても心配しています>片町線の線路陥没の反省
NHK 2014.08.28 21時07分
28日午後3時ごろ、JR片町線の河内磐船駅に、交野市の職員から、「線路脇にくぼみがある」という連絡がありました。
JR西日本が調べたところ、交野市私市5丁目にある磐船街道踏切から約5メートルのところで、1線路脇の土砂が1メートルほどの幅で崩れているのが見つかりました。
この影響でJR片町線は、長尾駅と四条畷駅の間の上下線で午後3時半頃から約2時間、運転を見合わせました。JR西日本が、土砂が崩れた原因を調べています。
<ごきげんよう>鉄友と今朝の奈良です
<今日から連続朝ドラ>マッサンと鉄道
<呟き>僕の吉田調書の普通の読み方
明日から10月 東海道新幹線開業50周年の日ですね。
<呟き>僕の吉田調書の普通の読み方(追伸)
◎非公開に至った経緯(Wikipedia)
吉田に対する聴取の応答内容をまとめた「聴取結果書」(後の、いわゆる「吉田調書」)は、当初、本人の上申書に基づいて非公開とされていた。
朝日新聞は東京電力福島第1原発所長で事故対応の責任者だった吉田昌郎(まさお)氏=2013年死去=が政府事故調査・検証委員会に語った、いわゆる「吉田調書」をめぐる命令違反の記事を取り消した。
木村伊量(ただかず)社長が記者会見し、謝罪した上で誤報を生んだ社内の改革に道筋がつけば速やかに進退を決断すると述べた。
ことは新聞全体に対する信頼に関わる問題である。記事を撤回し、責任者が進退に言及すれば済むものではあるまい。
なぜ誤ったのか。朝日新聞は検証し、原因をつまびらかにする。それが報道機関としての自浄能力であり、不信を払拭(ふっしょく)する道だ。
「吉田調書」報道は今年5月20日、「所長命令に違反、原発撤退」との見出しで紙面化された。
調書を独自入手してまとめたという記事は、2号機で衝撃音があった11年3月15日早朝の状況を語った内容だ。
記事の肝はこうだ。
吉田氏は「高線量の場所から一時退避し、すぐに現場に戻れる第1原発構内での待機」とテレビ会議で命令したが、所員およそ720人の9割が命令に従わず、10キロ南の第2原発に撤退していた―。
その中には事故対応を指揮するはずだった部課長級の社員も含まれ、記事は東電内規にも違反する可能性があると指摘した。
事故現場での東電の態勢に重大な疑義を抱かせる内容である。
ところが政府が公開した調書の中で吉田氏はテレビ会議の詳細に触れず、「第2原発に行ったのは正しかった」とも証言、命令違反がなかったという認識を示した。
ここが記事内容と大きく食い違う点だ。朝日新聞は会見で問題のテレビ会議での指示について、所員から裏付けがとれていなかったことを認めた。
一連の経緯について、朝日新聞は引き続き検証するという。取材や執筆の過程のどこで、どう間違えたのか。具体的に把握し、説明してもらいたい。
一方、政府にも注文したい。
事故調は700人超の関係者から1500時間にわたって聞き取りを行った。調書は吉田証言に限らず、過酷な原発事故の本質を明らかにする重要な資料である。
安全対策などに生かせるはずだ。原発の再稼働を急ぐ前に、政府はできるものから公開し、国民の判断を仰ぐのが筋だろう。
朝日新聞は、東京電力福島第1原発の所長だった吉田昌郎氏が、政府の事故調査・検証委員会の調べに答えた非公開の聴取結果書を入手し、5月20日付朝刊でその内容を報じた。
当時、現場にいた複数の元所員も産経新聞の取材に「命令違反」を否定した。40代の元所員は「第1原発では乾パンや水しかなく環境は日に日に悪化しており、第1のどこかに待機するというのはありえない」と語る。吉田氏の命令は第2への退避と受け止めたという。
ありとあらゆるメディア、識者、ジャーナリストが問題の本質をネグって、"朝日吊るし上げ"に熱狂する言論状況。そんな中、本サイトは逆に朝日を叩く側、読売新聞や産経新聞、週刊誌、そして安倍政権に対して、「おまえたちも同じアナのムジナだ!」と徹底批判を展開してきた。付和雷同、勝ち馬に乗ることしか考えていないこの国のメディアの中でこんな酔狂なまねをするのは自分たちくらいだろうと覚悟しつつ......。実際、いくら書いても孤立無援、本サイトの意見に同調してくれる新聞、テレビ、雑誌は皆無だった。
ところがここにきて、意外な人物が本サイトと同様、メディアの"朝日叩き"への違和感を口にし始めた。その人物とは、朝日新聞の連載で朝日の報道姿勢を批判するコラムを書いて掲載を拒否された池上彰氏だ。
この問題は朝日新聞による言論の封殺だとして読者から非常な不評を買い、朝日にとって「慰安婦問題」や「吉田調書」以上にダメ―ジになったと言われている。ところが、一方の当事者であるその池上氏が「週刊文春」(文藝春秋)9月25日号の連載コラム「池上彰のそこからですか!?」で、朝日を叩いている他のメディアも同じようなことをしていると指摘したのだ。
まず、池上氏は冒頭で「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい」という聖書の一節を引いた上で、こんな体験を語る。
「私は、かつて、ある新聞社の社内報(記事審査報)に連載コラムをもっていました。このコラムの中で、その新聞社の報道姿勢に注文(批判に近いもの)をつけた途端、担当者が私に会いに来て、『外部筆者に連載をお願いするシステムを止めることにしました』と通告されました」
「後で新聞社内から、『経営トップが池上の原稿を読んで激怒した』という情報が漏れてきました」
ようするに、朝日新聞と同様の掲載拒否が別の新聞社でも起こっていたことを暴露したのだ。池上氏は「新聞業界全体の恥になると考え」この一件を封印してきたが、「歴史を知らない若い記者たちが、朝日新聞を批判する記事を書いているのを見て」敢えて過去の体験を明かすことにしたという。そして、冒頭で引用した聖書の一節を再び使ってこう指摘している。
「その新聞社の記者たちは『石を投げる』ことはできないと思うのですが」
さらに池上氏は朝日新聞が自社の批判特集を掲載した週刊誌の広告掲載を拒否したことにも言及している。この件もまた、他の新聞が激しい批判を展開していたが、池上氏は皮肉まじりにこう書く。
「『そんなに朝日のことを批判できるのかなあ』と思った『週刊現代』の関係者もいるのではないでしょうか。かつて『週刊現代』の新聞広告が、新聞社から長期にわたって掲載を拒否されたことがあったからです。(略)この時期、『週刊現代』は、その新聞社の経営トップに関する記事を立て続けに掲載していました。まさかそれで広告掲載拒否になったなどということは、ありえないと思うのですが」
実はこの件については、本サイトも全く同じことを指摘していた。池上氏は新聞社名を伏せているが、この新聞社とは読売新聞のことだ。「週刊現代」(講談社)が読売の渡辺恒雄会長への批判や読売巨人軍の不祥事を報道していたところ、ナベツネ会長のツルの一声で「週刊現代」の広告掲載拒否が決まったのである。
また、本サイトは今回の問題を読売、産経が新聞拡販に利用し、本社販売部からの「朝日攻撃指令」などの指示が出ていることを暴露。結局、商売目的でしかないと批判したが、池上氏も同様の指摘をしている。
「朝日の検証報道をめぐり、朝日を批判し、自社の新聞を購買するように勧誘する他社のチラシが大量に配布されています。これを見て、批判は正しい報道を求めるためなのか、それとも商売のためなのか、と新聞業界全体に失望する読者を生み出すことを懸念します」
池上の矛先はさらに古巣NHKにも及んでいる。それは1981年2月、当時の『ニュースセンター9時』を舞台にしたものだった。
「ロッキード事件から五年になるのに合わせて特集を組みました。このとき三木武夫元総理のインタビューが、当時の報道局長の指示で放送直前にカットされるという事件がありました」
これに対し、政治部長も社会部長も各部のデスクも記者たちも激怒、その説明を求めたが、しかしインタビューは放送されることもなく、次の人事異動で政治部長、社会部長ともに異動になったという。そして、池上氏はそのNHKと比べるかたちで、「少なくとも朝日の幹部は判断の誤りを認め、謝罪するという態度をとった」として、評価する姿勢を見せている。
池上氏の批判は、このコラムが掲載されている「週刊文春」をはじめとする週刊誌にも向けられている。
「一連の批判記事の中には本誌を筆頭に『売国』という文字まで登場しました。これには驚きました。『売国』とは日中戦争から太平洋戦争にかけて、政府の方針に批判的な人物に対して使われた言葉。問答無用の言論封殺の一環です。少なくとも言論報道機関の一員として、こんな用語を使わないようにするのが、せめてもの矜持ではないでしょうか」
いかがだろうか。新聞社名を伏せるなど、池上サンらしい配慮とバランスを見せていることにはちょっと不満が残るが、おっしゃっていることはすべて正論。正直、この人がここまできちんとした言論の自由への意識、ジャーナリストとしての倫理観をもっているとは思っていなかった。こんな人物がポピュラリティをもってメディアで活躍できていることを素直に喜びたいと思う。
だが、同時に暗澹とさせられるのが、この国のメディアでこうした意見をはっきりと口にしたのが、今のところ、池上サンただ1人しかいないという事実だ。新聞もテレビも雑誌もそんなことはおくびにもださず、安倍政権と世の中の空気に乗っかって朝日叩きに血道をあげているだけだ。
"朝日叩き"は売れるコンテンツらしいから、やるなとはいわないが、せめて、返す刀で安倍政権や自分たちも含めたメディア全体の責任を検証すべきではないか。
それは袋だたきにあっている朝日も同様だ。朝日こそこうした反論と真相の暴露をするべきなのに、それをまったくすることができず、まるで食品不祥事を起こした企業のようにひたすら頭を下げてその場をやりすごそうとしている。
この国で、メディアにジャーナリズムの使命感や矜持を求めるなんていうのはもはや、八百屋で魚を求めるようなものなのかもしれない。
(エンジョウトオル)
<呟き>僕の吉田調書の普通の読み方(追伸-2) 中谷宇吉郎博士
<祝>東海道新幹線50周年
不思議:一個列車当たりの遅延時分の裏話
・開業の昭和39年度=1.2分
・昭和51年=6.2分
東海道新幹線の線路は土盛りがほとんどなので線路踏み固めを兼ねた路盤安定とか初期故障対策・・・当時は車軸折損なども未知の領域・・・に配慮して、東京~新大阪間をひかり4時間、こだま5時間運転であった。
初期故障多発ながら安定運転状態の遅延1.2分の背景には「通達で最高速度160キロ制限、しかしATC信号は210㌔」と云うことで、線路踏み固め等の理由を知らない運転士はトラブルで遅延回復とか乗客の200㌔体験の要望に応えて160を超えて210までノッチアップしていた逸話があります。
草創期の列車指令マニュアルや新幹線取扱心得は教育が徹底していなかった場面がありました。異常時に速度違反の倍の最高速度210で飛ばしていた運転士もいたほどです。
