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Channel: むかし日本に国鉄があった
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新年は“リニア・鉄道博物館”に行ってきました(その1)

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               ~このカードには付加価値がないのが“残念!!”です~
 
 
 
僕は海外に行くと出来るだけ鉄道博物館を探して歩きます
 
一番の感動はミューヘン(ドイツ)でした・・・世界最初のジーメンスの電気機関車等々・・・心底から最高ですね!
 
世界で二番目に走ったカイロの博物館もス・テ・キです。
 
最近では身に覚えのない1000年も呪う?と云われてむりやり嫌気を覚えさされている某国の鉄道博物館も
 
心の広い僕?にとってはス・テ・キでした。
 
販売されていた資料も中々のできばえでした。
 
 
・・・
 
 
さて、わが国の交通博物館で<凄いもの見た!!>は大阪環状線あった交通博物館(現在閉館)
 
僕の目玉は何とっても下記の「エンジン」ですね。
 
 
<YouTube>
 
 
 
飛行機の幻のエンジンです。
 
さてお話しを本来の鉄道に戻しましょう。
 
 
・・・
 
 
今年は憧れの「リニア・鉄道博物館」に行ってきました。
 
腕ためしに「シミユレーター」で遊んできました。
 
こんなすごい機械の操作は初めて、100円でしたから・・・夜の電車運転を体験しました
 
結果は下記の如しです・・・点数化されて成績評価がでます。
 
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   ~動く映像にしたがって加速、速度制限、勾配のノッチアップ、所定位置停車で採点~
 
 
 
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   ~僕の後ろには知らぬ間にチョットした人だかり・・・終えるとパチ!パチ!パチ!~
 
 
 
最新の電車のすばらしさに感激しました。
 
 

<再訪>新薬師寺

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奈良でお気に入りのお寺の一つが
 
新薬師寺です。
 
・・・
 
近鉄奈良駅から散策すると
 
「興福寺⇒美術館⇒東大寺⇒春日大社⇒新薬師寺・・・山之辺の道へ至る」
 
が奈良観光客の一般的なコースです。
 
 
・・・
 
 
薬師という名が付くお寺は全国に多くあると思いますが
 
奈良では三か所が知られています。
 
藤原京の本薬師寺址(移築したのが平城京の薬師寺)そして新薬師寺
 
定かではありませんが
 
創建当時で最も大きな伽藍は新薬師寺のようです。
 
 
・・・
 
 
さびのある境内は、季節を問わず素敵なお寺です。
 
 
 
 
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                       ~仮のお住まい本堂~
 
 
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                                        ~拝観の際に頂いたパンフレットから~
 
 
 
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 ~南門に掲げられている神仏(携帯)~
 

ロマンを求めて<山の辺の道>

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いろんな<道>があるそうです。
 
王道という道もあり
 
これを英語でないカタカナで表すとグランヴィアだそうです。・・・どこかのホテル名ですね。
 
・・・
 
孔子が説く道
 
老子の道
 
鉄の道といろいろありますが
 
今日はロマンあふれる「山の辺の道」にちょこっと歩きましょう。
 
初心者なら近鉄天理駅からお入りください。
 
※:夏の熊野古道、四国のお遍路はちょっとしんどいです。
 
 
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   ~鶏で知られる神社がスタート地点、終点までほぼ連続したなだらかな下り坂です~
             <奈良時代の藤原京から明日香京への古道です>
 
 
 
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      ~涼しい微風に魔除けの風鈴が・・・いろんな歌が詠まれていました~
        <ロマンを求める人とすれ違います。大和のお遍路さんですね>
 
 
 
 
 
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              ~これは男の神様を祀る社です。造り方で分かります~
 
 
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             ~もともとは獅子なのに狛犬?阿吽の象徴です~
     <狛犬が渡来した飛鳥時代以前の古い神社にはおかれていないようです>
 
 

<奈良の夏の終わりを告げた>灯華会

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旧国鉄職員(JR社員)にとって東大寺は、靖国神社のようなものです
 
東大寺の南大門をくぐると参道の左手に鉄道殉職者の供養塔があります。
 
いろんな殉職者・・・僕が現職当時に忘れられない殉職者もここに祀られています。
 
鉄道に関心のある皆様も一度お詣りをおすすめします。
 
 
 
         ~一斉にロウソクに点灯するまで猿沢の池で待機します~
                     <興福寺の五重の搭>
 
 
~竹筒の中に蝋燭を浮かべて点灯~
 
 
 
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~供養塔を案内する石碑~
 
 
 
 
 
 
 
灯華会が終わるとまもなく秋です。

無念の撤収

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   ~行方不明者を遺したままに撤収の悔しさに涙する自衛隊員 産経新聞 2014.10.17~
 
 
 
 
僕はこの記事から次のことを思いました。
 
>行方不明者のポケットにある携帯電話は、
 
>家族からの・・・ドコニイルノ!・・・と「呼び出し音を出し、
 
>ぶるぶる・・・・ハヤクカエロウ!・・・と振動しているかもしれない・・・。
 
>でも、ほとんどの携帯の電池が消耗して反応しないのだろう・・・。
 
 
・・・
 
 
 <瀬島龍三の回想録・・・思い出しながら書いてみます>

アッツ島山崎部隊長から最期の突撃するので無線機は破棄する旨の電報を受けた杉山参謀総長は宮中に参内し、アッツ島玉砕を上奏した。
 
受けた陛下は、「山崎部隊は最後までよくやったと打電せよ」 と仰せられた。

上奏を終えた杉山元帥は沈痛な面持ちで車に乗り込む・・・いつもは陛下からの御下問の内容について語る参謀長はその日は無言のままであった。
 
記録を残す随行の瀬島龍三少佐は「閣下、陛下のご下問は?」と尋ねると参謀長は次のように語った。
 
「瀬島 山崎部隊長によくやったと電報を打て」と命ぜられた。
 
瀬島曰く「閣下 お話しましたように無線機は破壊されており、もう受信できません」
 
参謀長曰く「陛下に同じように申し上げた」

陛下は「それでもよいから電波は出してやれ」と申された。
 
それを聞いた瀬島は手が震えてご下問を手帳に書きとることが出来なかった。
 
「陛下の御心は、まるで亡くなった子供に向かって名前を呼び続ける母のようであった」
 
参謀本部に帰り、直ちにアッツ島に向けて発電したが返事はなかった。

 
・・・
 
 
今も7人の行方が分からなくなっている御嶽山、肉親の誰もが携帯電話で毎日、来年の春に発見されるまで呼び続けるのだろうと僕は思う。
 
 
・・・
 
 
福知山線脱線事故で破壊された車両内で救助に当たっていた救急隊員の証言「車両のあちこちに飛び散っていた携帯電話器」が・・・安否を気遣う家族からの呼び出しに繰り返し反応し、光を発し、音を出し、は振動音で震えていた・・・を思いだした。
 
 
 
 
 
 

<読書>皇太子の窓

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今朝の奈良はご覧のように
 
一片の雲のない秋日和です・・・時折、遠雷のような打ち上げ花火の音=運動会!です。
 
とかく歳相応の体調なので日頃は読書です
 
 
 
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                         ~古都の秋日和~
 
 
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                       ~大気11℃ 湿度70%~
 
 
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                         ~元気にスクスクです~
 
 
 
過日、今上天皇が皇太子当時の英語教師であった故Elizabeth Janet Gray Viningの著書「皇太子の窓」を読む機会に恵まれました。
 
 
 
 
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              ~”皇太子の窓” 文芸春秋 昭和28年5月20日~
 
 
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著書は、作家であり熱心なクェーカー教徒であったVining夫人が皇太子(今上陛下)の家庭教師に選ばれた経緯からはじまり、まだ日本人に敵国人意識があっても不思議でない当時、天皇、日本人、日本文化などに尊敬の念とか美しさへの記録でした。
 
記述の冒頭に一面焼け野原に驚き、初めて地震を体験したこと、皇居のお濠でずらりと釣りをする人が並ぶこと、戦争に負けても靖国神社に沢山の市民がお参りしていたこと・・・。
 
印象的な登場人物としては天皇皇后両陛下をはじめ、当時の支配者であるマッカーサー、そして吉田茂、山本五十六、小泉信三、そして接した多くの国民。
 
出来事としては、皇太子殿下の誕生日にいわゆるA級戦犯絞首刑当日の皇室、国鉄総裁の下山事件、朝鮮戦争勃発、警察予備隊などなどの記述です。
 
皇太子の家庭教師であったヴァイニング夫人と小泉信三氏が将来のお妃選び問答も印象にのこりました。ヴァイニング夫人が出された「お妃の条件」がいまの美智子皇后さまそのものに驚きを覚えます。(p481-p482)
この本ではそんな条件に適うお妃はいませんよねと二人で大笑いになったと書かれています。その後、小泉信三氏が皇太子の仲人役をはたされました。
 
最後にヴァイニング夫人は聡明な皇太子は将来、聖徳太子のような天皇になるだろうとも書かれていました。
 
 
 
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                ~Adam of the Road (1942)『旅の子アダム』~
                 <世界で最も古い児童文学賞受賞作品>
 
 
                    

<回想>二上山の大津皇子のお墓を目指して

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                        ~二上山(ふたかみやま)~
 
 
 
うつそみの
 
人なる我や明日よりは 
 
二上山を弟(いろせ)と
 
我(あ)が見む
 
 
  
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~大津皇子の墓~
 
 
 
(付記)この歌は、謀反の疑いで処刑された大津皇子の遺体が二上山(に移された時に、姉の大伯皇女が詠んだ。 意味:は「この世に生きている私は、明日からは二上山を弟だと思って見るのでしょうか」
 
 
 
・・・
 
 
 
いまから2年前の
 
10月25日
 
親しい古老の友人と二人で
 
奈良県西部にある万葉集で知られた“二上山(517m)”を登山中
 
山頂寸前で友人が心筋梗塞で僕の腕の中で亡くなりました
 
 
・・・
 
 
僕は友人と年齢差と温和な人柄、教えて戴くことが多くて尊敬の念を抱いていた方でした
 
日頃、僕が周辺の遺跡や寺院をこまめに巡りをしていたので同行させての申し入れが縁でした
 
友人は月1回、几帳面な計画書を出され、それを受けてお供させて戴く機会にめぐまれました
 
自然と老いたわが父のような思いが込上げてきて、
 
リュックをお預かりし、坂や階段では手を持つて・・・すれ違う皆様から親子ですか?
 
でも最期の二上山では「今日は自力で登りたい」と申されて、・・・写真の如しです(最期のお姿)
 
11時半頃、早めの昼食を8合目近くで食べながら、今まで一度もなかった家族のことを初めて語られました
 
孫が楽しみ、そして息子が勤める会社が経営危機で将来が心配・・・の2点だけでした
 
その時、初めての身内のお話に違和感を覚えました。
 
 
・・・
 
 
食事を終えると、僕にまた「先に行ってください」と申され、それじゃちょっと先でお待ちしますと200mほど先の大津皇子のお墓の手前で、折りたたみ椅子を2個用意して・・・下山してきた女子大生風の二人がすれ違いの<コンニチワ!>の声が頭から消えないほんの少し先の曲がった先で友人は弘法大師立像を横に(僕がお貸しした)杖を握ったままお顔を上にして倒れておられました。
 
心臓圧迫を繰り返し、時折、口で空気を送り込むと食べたばかりのものが僕の口に入ってくるの救急行為を地元の救急隊員が駆け付けて来るまで続けましたが一度も生体反応はありませんでした。
 
とてもきれいなお顔をされていました。
 
 
・・・
 
 
葬儀を終えて、僕はすっかり体調を崩してしまい病院で検査、事情を離すと偶然、その医師は亡くなった”友人”の主治医でした
 
医師曰く「日常生活でも心臓が注意なのに登山とは!」と絶句されていました。
 
これまでの計画は平地、でも今回は死に場所を求めた計画ではなかったかと僕は感じました。
 
僕は「お見事な最期」、添えて「羨ましい旅たち」のように思いました。
 
 
 
・・・
 
 
 
それから2年を迎えようとしています。
 
2012年10月25日は1326年前のこの日に大津皇子が処刑された日です。歴史に詳しい友はこの日を選んで登山計画をしたことを死後2年して知った。
 
「 死せる孔明、生ける仲達を走らす」ではありませんが、友は黄泉の国から僕をご指導くださったように思います。
 
 
 
  ~大津皇子のお墓を目指して~
          <今思えば これが旅たちへの登山 といったようにと思います>当時のことが時が経つほどますます鮮明になり
意味: この世に生きている私は、明日からは 
 
 

新年は“リニア・鉄道博物館”に行ってきました(その1)

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               ~このカードには付加価値がないのが“残念!!”です~
 
 
 
僕は海外に行くと出来るだけ鉄道博物館を探して歩きます
 
一番の感動はミューヘン(ドイツ)でした・・・世界最初のジーメンスの電気機関車等々・・・心底から最高ですね!
 
世界で二番目に走ったカイロの博物館もス・テ・キです。
 
最近では身に覚えのない1000年も呪う?と云われてむりやり嫌気を覚えさされている某国の鉄道博物館も
 
心の広い僕?にとってはス・テ・キでした。
 
販売されていた資料も中々のできばえでした。
 
 
・・・
 
 
さて、わが国の交通博物館で<凄いもの見た!!>は大阪環状線あった交通博物館(現在閉館)
 
僕の目玉は何とっても下記の「エンジン」ですね。
 
 
<YouTube>
 
 
 
飛行機の幻のエンジンです。
 
さてお話しを本来の鉄道に戻しましょう。
 
 
・・・
 
 
今年は憧れの「リニア・鉄道博物館」に行ってきました。
 
腕ためしに「シミユレーター」で遊んできました。
 
こんなすごい機械の操作は初めて、100円でしたから・・・夜の電車運転を体験しました
 
結果は下記の如しです・・・点数化されて成績評価がでます。
 
イメージ 2
 
   ~動く映像にしたがって加速、速度制限、勾配のノッチアップ、所定位置停車で採点~
 
 
 
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   ~僕の後ろには知らぬ間にチョットした人だかり・・・終えるとパチ!パチ!パチ!~
 
 
 
最新の電車のすばらしさに感激しました。
 
 

<再訪>新薬師寺

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奈良でお気に入りのお寺の一つが
 
新薬師寺です。
 
・・・
 
近鉄奈良駅から散策すると
 
「興福寺⇒美術館⇒東大寺⇒春日大社⇒新薬師寺・・・山之辺の道へ至る」
 
が奈良観光客の一般的なコースです。
 
 
・・・
 
 
薬師という名が付くお寺は全国に多くあると思いますが
 
奈良では三か所が知られています。
 
藤原京の本薬師寺址(移築したのが平城京の薬師寺)そして新薬師寺
 
定かではありませんが
 
創建当時で最も大きな伽藍は新薬師寺のようです。
 
 
・・・
 
 
さびのある境内は、季節を問わず素敵なお寺です。
 
 
 
 
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                       ~仮のお住まい本堂~
 
 
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                                        ~拝観の際に頂いたパンフレットから~
 
 
 
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 ~南門に掲げられている神仏(携帯)~
 

ロマンを求めて<山の辺の道>

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いろんな<道>があるそうです。
 
王道という道もあり
 
これを英語でないカタカナで表すとグランヴィアだそうです。・・・どこかのホテル名ですね。
 
・・・
 
孔子が説く道
 
老子の道
 
鉄の道といろいろありますが
 
今日はロマンあふれる「山の辺の道」にちょこっと歩きましょう。
 
初心者なら近鉄天理駅からお入りください。
 
※:夏の熊野古道、四国のお遍路はちょっとしんどいです。
 
 
イメージ 1
   ~鶏で知られる神社がスタート地点、終点までほぼ連続したなだらかな下り坂です~
             <奈良時代の藤原京から明日香京への古道です>
 
 
 
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      ~涼しい微風に魔除けの風鈴が・・・いろんな歌が詠まれていました~
        <ロマンを求める人とすれ違います。大和のお遍路さんですね>
 
 
 
 
 
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              ~これは男の神様を祀る社です。造り方で分かります~
 
 
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             ~もともとは獅子なのに狛犬?阿吽の象徴です~
     <狛犬が渡来した飛鳥時代以前の古い神社にはおかれていないようです>
 
 

<奈良の夏の終わりを告げた>灯華会

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旧国鉄職員(JR社員)にとって東大寺は、靖国神社のようなものです
 
東大寺の南大門をくぐると参道の左手に鉄道殉職者の供養塔があります。
 
いろんな殉職者・・・僕が現職当時に忘れられない殉職者もここに祀られています。
 
鉄道に関心のある皆様も一度お詣りをおすすめします。
 
 
 
         ~一斉にロウソクに点灯するまで猿沢の池で待機します~
                     <興福寺の五重の搭>
 
 
~竹筒の中に蝋燭を浮かべて点灯~
 
 
 
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~供養塔を案内する石碑~
 
 
 
 
 
 
 
灯華会が終わるとまもなく秋です。

灯華会が終わりました

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旧国鉄職員にとって東大寺は戦前の軍人の靖国神社のようなものです
 
東大寺の南大門をくぐると参道の左手に国鉄殉職者の供養塔が置かれています。
 
いろんな殉職者・・・僕が現職当時の忘れられない殉職者もここに祀られています。
 
皆様も一度お詣りください。
 
 
 
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         ~一斉にロウソクに点灯するまで猿沢の池で待機します~
                     <興福寺の五重の搭>
 
 
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~竹筒の中に蝋燭を浮かべて点灯~
 
 
 
 
 
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~闇の中に~
 
 
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灯華会が終わるとまもなく秋です。

無念の撤収

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   ~行方不明者を遺したままに撤収の悔しさに涙する自衛隊員 産経新聞 2014.10.17~
 
 
 
 
僕はこの記事から次のことを思いました。
 
>行方不明者のポケットにある携帯電話は、
 
>家族からの・・・ドコニイルノ!・・・と「呼び出し音を出し、
 
>ぶるぶる・・・・ハヤクカエロウ!・・・と振動しているかもしれない・・・。
 
>でも、ほとんどの携帯の電池が消耗して反応しないのだろう・・・。
 
 
・・・
 
 
 <瀬島龍三の回想録・・・思い出しながら書いてみます>

アッツ島山崎部隊長から最期の突撃するので無線機は破棄する旨の電報を受けた杉山参謀総長は宮中に参内し、アッツ島玉砕を上奏した。
 
受けた陛下は、「山崎部隊は最後までよくやったと打電せよ」 と仰せられた。

上奏を終えた杉山元帥は沈痛な面持ちで車に乗り込む・・・いつもは陛下からの御下問の内容について語る参謀長はその日は無言のままであった。
 
記録を残す随行の瀬島龍三少佐は「閣下、陛下のご下問は?」と尋ねると参謀長は次のように語った。
 
「瀬島 山崎部隊長によくやったと電報を打て」と命ぜられた。
 
瀬島曰く「閣下 お話しましたように無線機は破壊されており、もう受信できません」
 
参謀長曰く「陛下に同じように申し上げた」

陛下は「それでもよいから電波は出してやれ」と申された。
 
それを聞いた瀬島は手が震えてご下問を手帳に書きとることが出来なかった。
 
「陛下の御心は、まるで亡くなった子供に向かって名前を呼び続ける母のようであった」
 
参謀本部に帰り、直ちにアッツ島に向けて発電したが返事はなかった。

 
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今も7人の行方が分からなくなっている御嶽山、肉親の誰もが携帯電話で毎日、来年の春に発見されるまで呼び続けるのだろうと僕は思う。
 
 
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福知山線脱線事故で破壊された車両内で救助に当たっていた救急隊員の証言「車両のあちこちに飛び散っていた携帯電話器」が・・・安否を気遣う家族からの呼び出しに繰り返し反応し、光を発し、音を出し、振動音で震えていた・・・を思いだした。
 
 
 
 
 
 

<回想>二上山の大津皇子のお墓を目指して

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                        ~二上山(ふたかみやま)~
 
 
 
うつそみの
 
人なる我や明日よりは 
 
二上山を弟(いろせ)と
 
我(あ)が見む
 
 
  
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~大津皇子の墓~
 
 
 
(付記)この歌は、謀反の疑いで処刑された大津皇子の遺体が二上山(に移された時に、姉の大伯皇女が詠んだ。 意味:は「この世に生きている私は、明日からは二上山を弟だと思って見るのでしょうか」
 
 
 
・・・
 
 
 
いまから2年前の
 
10月25日
 
親しい古老の友人と二人で
 
奈良県西部にある万葉集で知られた“二上山(517m)”を登山中
 
山頂寸前で友人が心筋梗塞で僕の腕の中で亡くなりました
 
 
・・・
 
 
僕は友人と年齢差と温和な人柄、教えて戴くことが多くて尊敬の念を抱いていた方でした
 
日頃、僕が周辺の遺跡や寺院をこまめに巡りをしていたので同行させての申し入れが縁でした
 
友人は月1回、几帳面な計画書を出され、それを受けてお供させて戴く機会にめぐまれました
 
自然と老いたわが父のような思いが込上げてきて、
 
リュックをお預かりし、坂や階段では手を持つて・・・すれ違う皆様から親子ですか?
 
でも最期の二上山では「今日は自力で登りたい」と申されて、・・・写真の如しです(最期のお姿)
 
11時半頃、早めの昼食を8合目近くで食べながら、今まで一度もなかった家族のことを初めて語られました
 
孫が楽しみ、そして息子が勤める会社が経営危機で将来が心配・・・の2点だけでした
 
その時、初めての身内のお話に違和感を覚えました。
 
 
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食事を終えると、僕にまた「先に行ってください」と申され、それじゃちょっと先でお待ちしますと200mほど先の大津皇子のお墓の手前で、折りたたみ椅子を2個用意して・・・下山してきた女子大生風の二人がすれ違いの<コンニチワ!>の声が頭から消えないほんの少し先の曲がった先で友人は弘法大師立像を横に(僕がお貸しした)杖を握ったままお顔を上にして倒れておられました。
 
心臓圧迫を繰り返し、時折、口で空気を送り込むと食べたばかりのものが僕の口に入ってくるの救急行為を地元の救急隊員が駆け付けて来るまで続けましたが一度も生体反応はありませんでした。
 
とてもきれいなお顔をされていました。
 
 
・・・
 
 
葬儀を終えて、僕はすっかり体調を崩してしまい病院で検査、事情を離すと偶然、その医師は亡くなった”友人”の主治医でした
 
医師曰く「日常生活でも心臓が注意なのに登山とは!」と絶句されていました。
 
これまでの計画は平地、でも今回は死に場所を求めた計画ではなかったかと僕は感じました。
 
僕は「お見事な最期」、添えて「羨ましい旅たち」のように思いました。
 
 
 
・・・
 
 
 
それから2年を迎えようとしています。
 
2012年10月25日は1326年前のこの日に大津皇子が処刑された日です。歴史に詳しい友はこの日を選んで登山計画をしたことを死後2年して知った。
 
「 死せる孔明、生ける仲達を走らす」ではありませんが、友は黄泉の国から僕をご指導くださったように思います。
 
 
 
  ~大津皇子のお墓を目指して~
          <今思えば これが旅たちへの登山 といったようにと思います>当時のことが時が経つほどますます鮮明になり
意味: この世に生きている私は、明日からは 
 
 

<読書>皇太子の窓

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今朝の奈良はご覧のように
 
一片の雲のない秋日和です・・・時折、遠雷のような打ち上げ花火の音=運動会!です。
 
とかく歳相応の体調なので日頃は読書です
 
 
 
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                         ~古都の秋日和~
 
 
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                       ~大気11℃ 湿度70%~
 
 
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                         ~元気にスクスクです~
 
 
 
過日、今上天皇が皇太子当時の英語教師であった故Elizabeth Janet Gray Viningの著書「皇太子の窓」を読む機会に恵まれました。
 
 
 
 
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              ~”皇太子の窓” 文芸春秋 昭和28年5月20日~
 
 
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著書は、作家であり熱心なクェーカー教徒であったVining夫人が皇太子(今上陛下)の家庭教師に選ばれた経緯からはじまり、まだ日本人に敵国人意識があっても不思議でない当時、天皇、日本人、日本文化などに尊敬の念とか美しさへの記録でした。
 
記述の冒頭に一面焼け野原に驚き、初めて地震を体験したこと、皇居のお濠でずらりと釣りをする人が並ぶこと、戦争に負けても靖国神社に沢山の市民がお参りしていたこと・・・。
 
印象的な登場人物としては天皇皇后両陛下をはじめ、当時の支配者であるマッカーサー、そして吉田茂、山本五十六、小泉信三、そして接した多くの国民。
 
出来事としては、皇太子殿下の誕生日にいわゆるA級戦犯絞首刑当日の皇室、国鉄総裁の下山事件、朝鮮戦争勃発、警察予備隊などなどの記述です。
 
皇太子の家庭教師であったヴァイニング夫人と小泉信三氏が将来のお妃選び問答も印象にのこりました。ヴァイニング夫人が出された「お妃の条件」がいまの美智子皇后さまそのものに驚きを覚えます。(p481-p482)
 
この本ではそんな条件に適うお妃はいませんよねと二人で大笑いになったと書かれています。その後、小泉信三氏が皇太子の仲人役をはたされました。
 
最後にヴァイニング夫人は聡明な皇太子は将来、聖徳太子のような天皇になるだろうとも書かれていました。
 
 
 
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                ~Adam of the Road (1942)『旅の子アダム』~
                 <世界で最も古い児童文学賞受賞作品>
 
 
                    

<寒桜>鉄友の訃報

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~寒桜~
 
 
 
霜月に入ると喪中ハガキが届くようになります。
 
 
霜月のような僕も歳相応にこの種の知らせが多くなり
 
 
最近では20葉以上です。
 
 
今年最初に頂いた方は、僕が40年間、ご一緒させて戴いた鉄友さまです。
 
 
北海道から九州まで日本全国、重い67中判カメラと太い三脚でSLを追いかけておられました。
 
 
僕にとって大切な方・・・しばらくお休みといたします。 
 
 
 

<確認車>新幹線運行開始前の露払い

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                   ~今朝6時ころの奈良市の天候です~
 
 
 
 
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                      ~気温3度 湿度68%~
 
 
 
 
                       ~偲ぶ 高倉健さん~
 
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             ~寡黙だった高倉健さんは国鉄職員姿が似合います~
                      <産経新聞 2014.11.19>
 
                        
 
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                      ~黄色いシクラメン 合掌~
 
  
 
 
新幹線始発の前に<必ず>露払い列車?=確認車が走ります。
 
新幹線最終列車が通過後、開始された保守工事等が完全に終了したことを確認するために新幹線始発前に運行される保守用車を確認車といいます。
 
この取り扱いは単純なものですが鉄道安全会議などで伺うとs39年開業前にかなり議論されて決まったなかなか奥の深い取扱いです。
 
出発前に駅長から「確認車運転票」を受け取ります。・・・<運転>の二字は地上信号機(在来線で云えば入替え信号機のような形状・・・相手側の駅長に渡して任務完了・・・新幹線総合指令所で一番緊張する・・・ワイワイガヤガヤの時間帯です。
 
 
 
 
 
 
                    <新幹線の露払い=確認車>
 
 
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                     <列車で云えば〝タブレット”>
 
 
 
<YouTube>
 

<今日も快晴>そして国鉄小話

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秋眠暁を覚えずのこの頃ですが、夕食後早々に寝室ですので暁前までには自然と起きてしまいます。
 
今朝の気温は8度・・・あまり寒くない朝でした。
 
 
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                     ~連日快晴の奈良市 気温8度~
 
 
 
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            ~まだすやすや睡眠中のお花をおどろかしてしまいました~
 
 
 
21日のTHE歴史列伝のビデオ録画にジャーナリストの元祖「黒岩涙香」があったので拝見していましたら国鉄で似たような出来事があったことを思い出しました。
単に評論家だけでな巌窟王などのく翻訳家として有名な方です。
 
 
<Wikipedia>
 
 
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                           ~1860~1920~
 
 
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~萬朝報新聞~
 
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                         ~機関紙は3,500万部~
                        <朝日新聞推定300万部>
 
 
この新聞は使用している漢字にすべてルビ付、庶民向けで下ネタや外国の連載小説が特徴です・・・続きは<国鉄版です>・・・別途後日といたします・・・
 
 
 

<祝:100周年>東京駅

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国鉄駅ができて100年です。
 
国鉄の公式記録を写真でご覧ください。
 
 
 
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                       ~1914年12月20日~
 
 
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                  ~ブックセンター付近は客留線でした~
 
 
 
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                     ~終戦間もない八重洲口~
 
 
 
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                     ~貴賓室へのエントランス~
 
 
 
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                    ~まだ地下道がなかった当時~
 
 
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~僕も飛び入り~
 
 
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                    ~国鉄最期の東京駅~
 
 
 
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                ~国鉄が計画していた21世紀の東京駅~
 
 
 

賀正

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新年おめでとうございます
 
古都奈良の初日の出を撮影できました
 
気温一度、時折、風が声をあげて舞う・・・ちょっと寒い新年を迎えました
 
 
 
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               ~玄関前のポーチに葉牡丹を飾りました~
               <三分の一ほどの小さな苗から育てました>
 
 
 
 
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                       ~奈良市の初日の出~
 
 
 
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                      ~気温1度、湿度35%~
                <風が唸り、午後から積雪があるそうです>
 
 
 
 
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                  ~天皇陛下の新年のお言葉~
 
 
 
◎<皇室>天皇陛下「歴史学ぶこと、極めて大切なこと」
  毎日新聞 1月1日(木) 5時1分配信
 
 
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            新年を迎える天皇ご一家=皇居・御所で、宮内庁提供
 
 
 
◇15年年頭の感想、終戦70年に触れて
 天皇陛下は2015年の年頭に当たり、宮内庁を通じて感想を公表された。今年が終戦から70年という節目の年であることに触れ、戦争で多くの人々が亡くなったとし、「この機会に、満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えていくことが、今、極めて大切なこと」と思いを述べている。
【写真特集】天皇陛下、81歳になられて
 今年4月初めに西太平洋のパラオ共和国を訪問し、戦没者への慰霊を行う。また、阪神・淡路大震災20年の追悼式出席のため1月に兵庫県を訪問。さらに3月11日には丸4年となる東日本大震災の追悼式に出席し、2日後に仙台市で開かれる国際会議で宮城県を訪れるなど、自然災害の被災地や被災者への思いを新たにする。また、5月に石川県で予定される全国植樹祭には、この春開通する北陸新幹線の利用も検討する。
  秋篠宮家の次女佳子さまは、国際基督教大学(東京都)に今春入学。皇族最長寿の三笠宮さまが12月に100歳を迎えられる。
  両陛下や皇族方は元日、祝賀行事に出席。2日は一般参賀で皇居の宮殿ベランダに立つ。同日は午前9時半から午後2時10分まで皇居・正門(二重橋)から入場できる。【大久保和夫】
 
  
 
<初夢>
新年に期待する鉄道はリニア、北陸新幹線、そして北海道新幹線などがありますが、僕自身は国鉄最期の経営計画室で係っていた・・・フランスのTGV方式(25000ボルト交流+1500ボルト直流)のようなシステムにより直通運転「東京~名古屋~伊勢」、「鹿児島~名古屋~伊勢」といった(仮称)伊勢新幹線の実現が夢です。
大きな投資が必要のないタイプの新幹線構想でした。
 
 
 
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                 ~江戸時代のお伊勢参り・・・犬もお詣りしました~
             <2014年度のお伊勢参り:1420万人 江戸時代でさえ数百万人>
 
 
 
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                 ~(仮称)伊勢新幹線を検討していた当時~
                   <昭和62年1月 経営計画室にて>
 
 
 
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                    ~交直流のフランス国鉄のTGV~
 
 
<リンク>
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