~二上山(ふたかみやま)~
うつそみの
人なる我や明日よりは
二上山を弟(いろせ)と
我(あ)が見む
(付記)この歌は、謀反の疑いで処刑された大津皇子の遺体が二上山(に移された時に、姉の大伯皇女が詠んだ。 意味:は「この世に生きている私は、明日からは二上山を弟だと思って見るのでしょうか」
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いまから2年前の
10月25日
親しい古老の友人と二人で
奈良県西部にある万葉集で知られた“二上山(517m)”を登山中
山頂寸前で友人が心筋梗塞で僕の腕の中で亡くなりました
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僕は友人と年齢差と温和な人柄、教えて戴くことが多くて尊敬の念を抱いていた方でした
日頃、僕が周辺の遺跡や寺院をこまめに巡りをしていたので同行させての申し入れが縁でした
友人は月1回、几帳面な計画書を出され、それを受けてお供させて戴く機会にめぐまれました
自然と老いたわが父のような思いが込上げてきて、
リュックをお預かりし、坂や階段では手を持つて・・・すれ違う皆様から親子ですか?
でも最期の二上山では「今日は自力で登りたい」と申されて、・・・写真の如しです(最期のお姿)
11時半頃、早めの昼食を8合目近くで食べながら、今まで一度もなかった家族のことを初めて語られました
孫が楽しみ、そして息子が勤める会社が経営危機で将来が心配・・・の2点だけでした
その時、初めての身内のお話に違和感を覚えました。
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食事を終えると、僕にまた「先に行ってください」と申され、それじゃちょっと先でお待ちしますと200mほど先の大津皇子のお墓の手前で、折りたたみ椅子を2個用意して・・・下山してきた女子大生風の二人がすれ違いの<コンニチワ!>の声が頭から消えないほんの少し先の曲がった先で友人は弘法大師立像を横に(僕がお貸しした)杖を握ったままお顔を上にして倒れておられました。
心臓圧迫を繰り返し、時折、口で空気を送り込むと食べたばかりのものが僕の口に入ってくるの救急行為を地元の救急隊員が駆け付けて来るまで続けましたが一度も生体反応はありませんでした。
とてもきれいなお顔をされていました。
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葬儀を終えて、僕はすっかり体調を崩してしまい病院で検査、事情を離すと偶然、その医師は亡くなった”友人”の主治医でした
医師曰く「日常生活でも心臓が注意なのに登山とは!」と絶句されていました。
これまでの計画は平地、でも今回は死に場所を求めた計画ではなかったかと僕は感じました。
僕は「お見事な最期」、添えて「羨ましい旅たち」のように思いました。
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それから2年を迎えようとしています。
2012年10月25日は1326年前のこの日に大津皇子が処刑された日です。歴史に詳しい友はこの日を選んで登山計画をしたことを死後2年して知った。
「 死せる孔明、生ける仲達を走らす」ではありませんが、友は黄泉の国から僕をご指導くださったように思います。
~大津皇子のお墓を目指して~
<今思えば これが旅たちへの登山 といったようにと思います>当時のことが時が経つほどますます鮮明になり
意味: この世に生きている私は、明日からは